おはようございます。
とことん経営計画づくり……とはいかなかった。午前中は商品撮影と料理撮影。午後は同窓会報の校正作業。買い物に行く必要もあった。経営計画は頭の中で思い描いた。月曜朝までに形にせねばならないものがある。今日こそ「とことん」の日となるはず。
複数の目
同窓会報の校正に携わる人は7名。ここ2、3号は日程の都合がつかず、メールでPDFを送って確認してもらうという形をとっています。以前は会社に集まっての校正作業。しかも食事付き。少し牧歌的な雰囲気が漂っていましたね。それはそれで会報部らしいのですが、今の会報部員は働き盛りの年代の人ばかり。自然に合理的な進め方に変わっていきました。
校正作業はPDFのやりとりで何の問題もありません。というよりも、このほうが間違いが少ない。きちんと校正してもらえれば……の話ですが。
何人かから校正が戻ってきて、僕の気づかない訂正箇所がありました。自分ひとりで校正作業を行っていたなら、たぶんスルーしてしまったことでしょう。複数の人の目を通す。これが案外重要なのだと、改めて気づかされます。
校正作業では2つすべきことがあります。ひとつは事実関係の誤りを正すこと。おもに取材相手に確認してもらうことになります。しゅんでもスロウでも先方校正を必ず行っているはず。事実ではないことが印刷されてしまうと大変です。ここは慎重に校正しなければなりません。
もうひとつは文章としての誤りを正すことですね。入力ミス、変換ミスといった類いの単純な誤りもけっこうあるものです。これは複数の目で確認すると、たいていの場合修正されることになる。問題となるのは、文章表現上の誤り、または誤りとはいえないレベルの怪しい表現。これをどのように扱うのか? たぶん、意見の分かれるところでしょう。
スロウの編集者でも、考え方にずいぶん違いがあるような気がします。違っていて当然。問題は違いがあることを認めるか、認めないか。ここなんですね。これが正しい。だから、この言い回しは間違っている。そうハッキリ断じることのできる事例もあるでしょう。けれども、どちらが正しいとは言い難い言葉や表現方法もある。
たとえば、「です・ます」「だ・である」を混在させてはいけない。そう頭から信じ込んでいる人がいると、ちょっとやっかいなことになります。僕は混在肯定派ですから。文章を書いていて、少し高揚しているときには「だ・である」になりやすいんですね。その気持ちを無理に抑え込んで「です・ます」にすると、何とも気の乗らない文章になってしまいます。そのような余計な指摘を受けたくないという気持ちもあって、僕が雑誌で文章を書く際には最初から「だ・である」にすることが多い。
また、「生かす」と「活かす」、「聞く」と「聴く」、「見る」と「観る」といった漢字の使い方にも、ずいぶん個人差があるものです。ある程度の基準はあってもよいでしょうが、厳格に基準を適用すると「何となくその人らしくない」文章になってしまいます。
2、3年前、僕の書いた原稿にずいぶん「赤」が入っていたことがありました。僕はちょっと意地になって「イキ」と書き加えて元に戻すのですが、「赤」の中にも一理あると思わせるものがありました。何人かの編集者が入れた「赤」から影響を受けて、少しだけ僕の文章表現が変わったかもしれません。
意地になっていた頃は、なぜ「イキ」なのか、説明文まで書き加えていました。そうした、校正紙を使ったコミュニケーションが行われていたのも今は昔。みんな書き手の個性を尊重するようになってきて、僕の文章表現も編集者たちから受け入れられるようになったようです。