
おはようございます。
朝6時出発。旭川を目指す。途中で風景撮影。最初の目的地に到着したのは9時15分頃。ここは届け物のみ。取材は鷹栖。10時ピッタリに到着。取材が始まった。すでに気温は30度を超えていた。驚くような話の連続。僕は離れた場所で撮影していたが、周囲に人家がないためか話がよく聞こえる。撮影しては日陰で休憩。これを何度か繰り返す。取材後半は屋内。話は尽きず、昼食をいただきながら午後1時半まで取材・撮影が続いた。もう一度訪れることになりそうだ。次の取材は旭川市内。2時からだと思っていたが、Googleカレンダーで確かめると2時半だった。準備を整えると、ちょうど2時半になっていた。
後半の取材は僕の担当ページ。構想2ヵ月。頭の中ではイメージがふくらんでいる。もう取材しなくても十分に書けるような気持ちになっている。しかし、取材の大切さも前回の「毛ガニ」の記事で学んだところ。一消費者の立場で言えば、料理はただ味わうだけでもよいのだが、作り手はそうはいかない。奥の深い世界がある。そして、奥深い世界の一部を知ることで、味わいも違ってくる。4時半頃取材終了。8時帰宅。シャワーを浴びてから商品撮影1点。収穫の多い一日だった。
才能よりも大事なもの
僕にとってインパクトのある取材が2件続いたわけですが、どちらについて書こうか? 鷹栖は秋に再取材する予定なので、僕の担当する旭川の店について考えてみたいと思います。
といっても、スロウ65号が発行されるまで、具体的な記述は避けねばなりません。ただ、仕事観としては大いに共感するものがあり、それはどの世界でも共通するものなのだと再認識したところです。
共感したポイントは2つありました。ひとつは伝統。取材の中では出てこなかった言葉だと思いますが、僕は料理そのものから、あるいは言葉の中から感じ取っていました。伝統とは、昔からやってきた通りに仕事をするという意味ではありません。たえず、新しい何かを模索しているに違いない。世の中もお客ニーズも変化し続けていますから、大事なもの(変えてはならないもの)を守るためには変わり続けなければならない。大事なものとは、理念であったり、伝統であったり、歴史であったりします。
もうひとつ共感したのは、地道な取り組みの継続といったもの。これも、取材ではそういう話にはならなかったはず。けれども、求道的雰囲気すら感じる調理場からそれが伝わってきました。業種や職種にもよるのでしょうか? 2、3年働いただけで、一人前になったかのように錯覚する人も少なくないのですが、ここにはたぶんそういう人はひとりもいない。そんな社風を感じます。ある道を求めてひたすら地道な努力が継続されている。我が社で言えば、プレス(印刷)や製本の人たちがこれに近い。
どんな職業も基本は一緒ではないかな、と思うことがあります。地道な取り組みが我慢できずにその世界から抜け出してしまうと、重要な何かを身につけることができない。
おおよその年数として、僕は「10年継続」と考えていますが、もちろん個人差もある。ですから、10年を最低期間と定め、より長期的な取り組みを継続的に行う必要があるのではないかと思います。
僕はこれまで、非凡な才能を持つ人が開花せず、逆に普通と思える人が10年くらいたってから頭角を現すという事例をいくつも目撃してきました。努力がすべてとは思っていませんが、継続力がなければよほど特異な才能がない限りうまくはいかないもの。20年、30年とひとつの道を追い続けること自体、もすかすると「非凡な才能」なのかもしれません。
僕自身はどうかというと、何度も回り道をしてきたものの、やはり写真と文章でしょう。短期的には文章力の強化、超長期的には写真の世界を探求したいと考え続けています。
