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偶然経営仮説22 偶然とストーリー

偶然経営仮説22 偶然とストーリー

おはようございます。
 朝は第61期経営計画書の入稿作業。各部署から上がってきた数字をまとめる。一つひとつの数字の中に意味がある。あるいは思い。そう感じさせる目標数値だった。入稿後は原稿作成。集中力が高まってきた。集中すると、情報密度が高まる。断片的だった情報が何らかの反応を起こす。無関係に思えた情報同士がつながって、ストーリーが見えてくる。ここまでくると、原稿執筆速度は急速に高まる。夕方までに本文がまとまった。これでよしとする。夕食。7時から経営指針委員会。9時40分頃終了。

仕上がりイメージとのギャップ

「偶然」という言葉を不用意に使うと、他人任せであるとか、何も考えていないかのように誤解される恐れがあります。「偶然経営」などという言葉は、本当は使ってはいけないのかもしれません。ただ、変な言い方になりますが、僕は偶然というものを信頼していて、偶然によって助けられたり、好ましい方向へ導かれてきました。僕の使う「偶然」という言葉の定義が、やや広範囲なのだとも言えそうです。
 原稿執筆の際には偶然が不可欠だと思っています。もちろん、取材する前には「こういう記事をつくろう」と仕上がりをイメージするものです。これは編集者であれば、誰もが行っていること。まったくノープランで取材できるものではありません。
 しかし、最初の仕上がりイメージ通りにはならないのが常。最初のイメージそのままに仕上げたならば、その記事は予定調和的なものとなってしまうでしょう。雑誌の場合、それではおもしろみに欠けるわけです。
 自分のイメージしていたものと、取材先で考えたり感じたこと。両者には必ずギャップがあるものです。取材では相手の考えや思いを聴くことになるわけですから、自分の考えと違う部分があったり、自分の知らなかった情報と出合うことになります。そうすると、記事の仕上がりイメージも相当変わってくる。
 僕は取材活動の中でもインタビューを苦手としています。したがって、相手から順序立てて話を聞き出すことがなかなかできない。得られる情報いつも断片的なものとなる。いきなり、話題が変わることも多い。
 一昨日初めて使ったAI文字起こしサービスでテキスト化した取材記録に目を通して、一瞬気が遠くなるのを感じました。6時頃、出力したプリントに目を通したのですが、気が遠くなって実際ベッドに潜り込んでいました。いやいや、これではいけない。そう思ってアンダーラインを引いたり、メモ書きをする。いよいよ集中力が高まったのは午前10時半頃。僕の原稿執筆プロセスの中には「途方に暮れる」という工程が不可欠なようです。この儀礼を通過しなければ、執筆速度は高まらない。
 執筆速度が高まる直前、全体のストーリーが見えてくることがあります。また、見えないまでも妙な安心感とともに書き進めることもあります。そのような状態になっているときは、だいたい予定していた分量で原稿を書き終えることができる。ストーリーがまったく見えないときには、短すぎたり、書いても書いても終わらなかったりする。断片的に思えていた情報がジグソーパズルのようにピタリとはまる。そのような原稿となることもたまにあります。当然ながら、ピースをすべて使い切る必要はありません。しかし、全部出し切ったときにはちょっとした達成感を感じるものです。
 書き手が10人いれば、10通りのストーリーがあります。一人ひとり自分の人生経験と照らし合わせながら、取材してきた情報をストーリー化している。また、同じ「自分」であっても、そのとき考えていること、悩んでいること、感じていることに影響を受け、異なるストーリーを描くことがあります。さまざまな偶然が作用して、一本の記事が完成する。
 偶然の作用によってできあがった原稿の中に、意味や思いが込められている。ここが僕らの仕事のおもしろいところではないかと思います。

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