
おはようございます。
朝、少しゆっくり過ごしてから買物へ。9時40分、愛菜屋はにぎわっていた。さらに、スーパーで買い物をしてから帰宅。籠城できるほど、食材を大量購入。それでも冷蔵庫に収まるから不思議なものだ。仕事は午後から。まずは校正作業(スロウではない雑誌)。続いて、一番書きたいと思っている原稿の取りかかる。考え抜いてから、500字くらい書き進めてみる。悪くはない。だが、何かが足りない。いったん執筆を中断し、やり残していた「記憶の中の風景」の短い文章を書く。メールで入稿し、仕事を終える。
なぜ「光画」ではないのか
僕は有名観光地ではあまり写真を撮らないタイプなのですが、「絶景を見たい」という気持ちは人並みに持っています。だから、みんながカメラを向ける中で、僕もカメラを向けてシャッターを押す。ただ、そこで撮った写真が自分の作品になることはあまりない。やはり、自分で被写体を発見したいという気持ちが強いのでしょう。
昨日は「記憶の中の風景」のごく短い文章を書きながら、写真とフォトグラフの違いについて考えていました。文字通りに解釈すれば、写真は「真を写したもの」、フォトグラフは「光が描くもの」ということになります。写真は日本的、フォトグラフは西洋的な背景があるような気がします。
学生時代には、どうして西洋の写真家(ずいぶん大雑把なくくりですが)と日本の写真家では、光の扱い方が異なるのだろう……と考えていました。たぶん、西洋の写真家には「光が描くもの」という考えが根底にあったからではなかろうか?
ビル・ブラント(イギリス、出身はドイツ)、ヨゼフ・スデック(チェコ)、アンドレ・ケルテス(ハンガリー)らの作品を見ると、いよいよそんな気持ちが強くなってきます。ビル・ブラントには、そのものズバリ「光の影」という写真集もある。「光が描くもの」をさらに一歩進めると「光が」ではなく、「光で描く」というところまで行き着くことになるのかもしれません。けれども、20世紀の偉大な写真家たちは、そのギリギリ一歩手前のところで踏みとどまり、写真らしい写真の魅力を突き詰めようと努力してきた。ここにおもしろさと奥深さがあります。
一線を越えた事例としてはマン・レイの「レイヨグラフ」、モホリ・ナギの「フォトグラム」が挙げられます。いずれも1920年代。カメラを用いず、印画紙の上に直接物を置いて感光させるという手法。賛否両論分かれるところ。僕は「光で」よりも「光が」のほうに惹かれますね。
一方、写真という言葉は日本語であるだけでなく、とても日本的(または東洋的)だと思うことがあります。フォトグラフが西洋から日本に持ち込まれた際、普通に考えれば「光画」という言葉が充てられるべきだったはず。それが「真を写す」の写真になった。写真術の登場は当時の人々にとり、衝撃的なものだったに違いありません。だから、昔は「魂が抜かれる」と信じていた人が多かったのではないか?
日本人には「いたるところに神が存在する」という考えがあります。神かどうかは別として、日常の中に「何か」が存在している。それを写そうとする。西洋的な写真家の場合、写真全体のフレーミングやライティングに意識が向けられていますが、20世紀までの日本の写真家は「何か」あるいは「真」を見いだすことにエネルギーの大半を使っていたのではないか? いろんな写真家がいますので、ひとくくりにすることはできませんが、昨日はふとそんな考えが浮かんできました。
フレーミングとライティングは作品の質を左右するもっとも重要な要素。ですが、そこに対して無頓着とはいわないまでも、もっと別な何かを追い求めている写真家がいます。これは撮り方の違いというよりも、生き方の違いであるようにも感じられます。