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仕事観について69 自由とは

仕事観について69 自由とは

おはようございます。
 朝7時出発。10時15分、鷹栖着。取材は10時半から。2度目の取材。今回は撮影がメインだったが、話がおもしろい。気づくと午後2時半。取材とは別に、耳寄りな情報を得た。富良野経由で帯広へ。途中で風景撮影。7時15分帰宅。

「与えられた自由」と「勝ち取った自由」

「自由」という言葉は、取り扱いがちょっと難しいところがあります。「人質から解放されて自由になる」のと「自由な生き方を手に入れる」の「自由」では、意味合いが大きく異なるからです。身体的自由と精神的自由という違いもありますし、状況あるいは個人差によって「自由」を感じる範囲も大きく違ってくるでしょう。
 したがって、自由そうに見える人でも自由ではない場合がありますし、自由そうに見えない人(たとえば休みなく働いている人)でも自由を感じていたりする場合がある。自分が自由と感じているかどうか。結局は、その一点に尽きるということになります。
 昨日の取材を通じて僕が感じたのは、人生の大目標のひとつは「自由になること」ではないかということでした。
 仕事は自由を得るための方法。そう考えることもできます。社会人として、あるいは大人として生きていくために、ほとんどの人は経済的自由を手に入れようとします。しかし、新社会人からの数年間は未熟ですから、仕事力を手に入れるのに苦労することとなります。努力を重ねて、できなかったことができるようになる。これもある種の「自由」です。
 仕事を通じて「不自由」を「自由」に変えていく。それが社会人としてのあるべき姿ではないかと思うことがあります。それがすべてではありませんが、「与えられた自由」よりも「自分の努力によって勝ち取った自由」のほうが貴重なもの。努力して印刷機の操作を身につけるとか、努力して文章力を高めるといったようなこと。これらは誰もが経験することです。数年間真剣に働いたり学んだりすれば、ある程度の自由を手にすることができるでしょう。
 しかし、2つか3つの自由を得ても、次から次へと「不自由と感じるもの」が目の前に現れる。仕事においてより高いレベルを求められるようになったり、人間関係の難題が現れたり、今年の新型コロナのような経済危機が訪れたりするのです。そうした難題をクリアできず、自分の能力に対して不自由さを感じることがあるものです。
 自分が望んでいなくても必ずといってよいほどやってくるわけですから、「不自由」を自分の仲間として招き入れるしかないのではないか。そんなふうに考えてみたらどうなのでしょう? これは不自由な状況に甘んじるという意味ではなく、自分の成長課題を「不自由」が教えてくれているという意味。誰にも成長課題はありますから、すべての人に「不自由」は等しくやってくる。そう考えると、多少はストレスが軽減されるのではないかと思います。
 僕らは「自由」を追い求めるというチャレンジを連続的に継続する必要があります。「不自由」を肯定的に捉え直し、受け入れてもよいけれども、「不自由」に心の中を支配されてはいけない。
 今年はコロナ禍によってテレワークが急速に進みました。働き方の自由度が増した。そのこと自体よいことではあるのですが、自分で獲得した自由ではないため、自由を使いこなせない人、自由に心地よさを感じていない人が相当数いるようです。
 自分が本当に望んでいる自由な働き方、生き方とはどのようなものなのか。そこを一人ひとり真剣に考える必要がありますね。「外形的に見える自由そうな働き方」あるいは「誰かから与えられた自由」ではなく、「心から望んでいて自らの努力によって勝ち取った自由」。そうした生き方、働き方を手に入れる人の多い会社は、成長・発展していくに違いありません。
 今日から10月。我が社は第61期がスタートしました。 

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