
おはようございます。
全員揃って、札幌で行われた新入社員研修から戻ってきました。この2日間の研修が新入社員の人たちにとってどのような意味があったのか? それがわかるのは、きっと3年くらい先のことに違いありません。僕の考えでは、仕事人生においてもっとも重要な仕事観は社会人1年目に形成されます。したがって、どんな会社に入社するか、そして、そこで何を学んだのかによって決まってくる。1年目の中でもとりわけ4月、5月が重要となります。新入社員の人たちには、人生の節目だと思って本気で学んでほしいと思います。
我が社の一時代を象徴する印刷機
人生に節目があるように、企業の歴史の中にも節目となる年があるものです。僕はこれまでさほど意識してはいなかったのですが、2004年は我が社にとって非常に重要な年だったと考えるべきかもしれません。
我が社初の商業誌「northern style スロウ」を創刊した年。この年を機に、我が社は次々と雑誌、ムック本、単行本を出版していくことになりました。
ただ、それだけではありません。この年にはもうひとつ、プレス課(印刷部門)でも大きな動きがあったのです。アキヤマ製菊全2色印刷機の引退。この出来事が妙に僕の記憶に残っています。
2004年8月28日、我が社の中でどのくらいの期間稼働したのかはわかりませんが、この菊全2色機が搬出されていきました。青銅色をした精悍ないでたち。古き良き時代の印刷会社にふさわしい印刷機でした。
印刷会社であれば、印刷機の入れ替えはたまに行われることになるわけですが、このアキヤマに関しては、なぜか特別な気持ちが僕の中にはある。もしかすると、当時の我が社の多くの人も同じような気持ちを抱いていたのではないかと想像しています。
僕はアキヤマ最後の日を丹念に写真に残していました。クレーンに吊られトラックに乗せられ運ばれていくのですが、その一部始終を何人かの社員が見守っています。その表情が何ともいえないものなんですね。撮影したときには気づきませんでしたが、あれから14年たち改めて写真を見直してみると、やや不安げで名残惜しそうな顔つきをした人が写っている。それはひとつの時代の終わりを示しているかのようです。
社歴の古い人たちから話を聴くと、昔のソーゴー印刷はずいぶんワイルドな会社であったことがわかります。これは我が社だけの話ではなく、全国各地の中小製造業はそんな感じだったのかもしれません。
「印刷機の後ろにお酒の一升瓶が置かれていた」。そうした話は、他の同業者からも聞いたことがあります。そして、事務所では夕方ビールを飲んでいた……。今考えると、とんでもない会社ですね。とんでもないことがまかり通っていた。
これを「古き良き時代」といってよいのか、僕にはわかりません。けれども、アキヤマの後ろにはきっと一升瓶が置かれていたに違いない。そんな想像をかき立てる印刷機でした。
今の時代は、僕を含めてほぼみんな真面目な人間です。では、当時の印刷会社の人たちは不真面目だったのか? 僕の考えでは、半分不真面目。しかし、もう半分は超真面目だったのではないかと思います。職人的なこだわりを持つ人が多かった。
今日よりも個人の感性や技術に頼る部分が大きかった時代。印刷技術者には職人気質の人が多かった。それゆえ、営業をはじめとする他部署の人たちと衝突することが日常茶飯事だったと思います。僕が入社した2000年頃にもそうした雰囲気が一部に残っていた。「どうして会社全体のことを考えてくれないのだろう?」と思うことがしばしばありました。
今考えると、彼らの職人気質に共感できる部分もあります。職人、技術者としてのプライドは確かに必要なもの。ただし、「一升瓶」と「不要なトラブル」抜きで持つことが我が社の印刷部門には求められます。今はほぼ完全にそれが実現されており、ここ10数年の間にとてもよい部署になったのではないかと思います。
アキヤマは1948年、株式会社秋山機械製作所として創業。優れた技術力を持つ印刷機メーカーでしたが、2001年に民事再生法申請。その後、中国資本によって再生し、今はアキヤマインターナショナルという会社になっています。
製造業としての印刷産業のピークは、1997年のことだったと思います。いかにすぐれた印刷技術があっても、製造業のままである限り、印刷産業は拡大の余地は少ない。21世紀に入ると、その傾向は誰もが否定できないものとなっていきました。
職人的なこだわりと技術者としてのプライド。それは印刷に携わる人たちにとって必要不可欠に違いありません。けれども、それだけでは十分ではない。仕事全体の目的を知るとか、他部署との連携を密にするとか、製造部門からのクリエイティブな発想が求められるようになってきているのです。
2004年、無骨で精悍な顔つきをしたアキヤマに代わり、やってきた印刷機はリョービのB2判4色機750でした。雑誌の印刷需要を考えると、菊全のほうが正解だったのかもしれません。けれども、我が社の事業の中心は小~中ロットの印刷物。全判にこだわる必要はないというのが当時の経営判断でした。
今はリョービ750が2台稼働しています。スロウの印刷にもリョービが使われている。現場サイドの評価はどうかわかりませんが、我が社の事業規模、事業内容に合っているのではないかと思います。
2004年の写真に写っている人たちの複雑な表情から、僕はもっと早く気づくべきだったかもしれません。印刷産業を取り巻く環境は急速に変わってきています。今も変化の真っ只中にある。今何が起こっていて、これからどのような方向へ向かっていくのか? そのことを詳しくていねいに伝えていかなければなりません。
