
おはようございます。
朝、ある企画をまとめる。10時半、我が家に4人集まる。新プロジェクトチーム。僕もそのプロジェクトの一員だと思っていたが、どうやら勘違いのようだった。呼ばれていないのに、自分の企画を発表した。僕のプランはともかく、4名+M氏のプランはおもしろいものだった。あっと驚くものもあった。僕のプランはひっそり実現させることにしようと思った。
昼は帯広ロータリークラブ例会。いったん帰宅し、1時間仕事をしてから同友会事務所へ。十勝経営者大学運営会議。4時半帰宅。昨日の隙間時間は写真選びに充てていた。ずっとディスプレイを見続けたため、夕方には眼精疲労と肩こり。5時45分で限界に達してしまった。
第一の創造
昨日感じたのは、みんないいアイデアを隠し持っている……ということでした。もしかすると、そうしたアイデアを人に話すことなく、ひたすら目の前の仕事だけしている人もいるのではなかろうか? 僕はその逆。かなり貧相なアイデアでも話してしまうタイプ。自分の中では素晴らしいと心から思っているのですが、周囲の人たちから高評価が得られることは少ない。だから、自己完結型で進めていくしかないと考えてしまいます。このパターンは中学校時代からずっと変わらないな……。
それはともかく、みんなの隠し持っているアイデアをアウトプットする場を用意すると、これはかなりおもしろいことになる。わずか1時間半ほどのミーティングでしたが、そんな印象を持ちました。
素晴らしいアイデアも貧相なアイデアも、受容的な雰囲気に包まれた場所で等しく発表されるべきではないか? 我が社にはそうした場がこれまでもあったとは思いますが、アイデア発表会のような機会は少なかったような気がします。もしかすると、僕のいない場所では盛んに行われているのかもしれません。
思いつきとアイデアは一応区別して考える必要があります。けれども、思いつきレベルであっても、ともかく口に出してみる、企画書にまとめてみるということが大切ですね。アウトプットすると、そのアイデア(または思いつき)に触発されて、別なアイデアが付け足されていったり、変容していったりするのです。ひとりのアイデアがチームのアイデアとなっていく。
そのようにして、第一の創造である「知的創造」に至るのではないでしょうか。第二の創造は「物的創造」ということになりますが、第一から第二に至るまでにハードルの高さを感じることがあります。これまでやったことのない分野に対して、壁のようなものを感じてしまう人が多いのです。僕の目にも壁が見える。
これが印刷物や出版物に関するアイデアであれば、「あっ、おもしろそう」といった感じでプロジェクトが進んでいきます。紙媒体以外でも、一部の分野ではハードルがずいぶん低くなりました。ただ、新たなビジネスモデルとなると、壁がそびえ立っていると感じる。また、僕には壁が見えなくても、みんなの目にはそう映るというケースもあるものです。
壁のように見えてもそれは壁ではない。そう気づく必要がありますね。ほとんどの壁は「張りぼて」なのだ。そう考えるべきでしょう。たとえ本当に壁であったとしても、どうということはない。体当たりしても擦り傷を負う程度でしょう。実体がないのに壁だと思ってしまう自分。ここを克服せねばなりません。
「7割経済」と呼ばれるようになって、すっと7割のまま推移していくのかはわかりません、しかし、本当に7割であるならば、残り3割を生み出すためのチャレンジが欠かせません。3Mの「15%カルチャー」、Googleの「20%ルール」のような企業文化が、今こそ必要ではないかと思います。
自分自身のプロジェクトのために勤務時間の15%、20%を充てる。従来通りのやり方では、失われた30%は戻ってこない。新たな創造が求められます。