
おはようございます。
午前9時出社。すでに芽室高校の生徒さん21名が来社していた。「我が社の事業活動と働く意味」というテーマで40分ほど話をさせていただく。質疑応答では鋭い質問がたくさん出た。我が社の根幹に関わる質問もあれば、哲学的な質問もあった。即座に答えたが、的確な回答だったのかどうかはわからない。その後、2グループに分かれて会社見学。再び研修室に戻り、S氏からスロウの話、M氏からはしゅんの話。グループ討議と発表が行われた。
午後3時来客。それ以外の時間は自宅で企画書づくりと事務的作業。夕方、「20年ぶりだ」と思うような出来事があった。
ミラー派とウィンドウ派
昨日改めて気づいたのは「質問力」の大切さでした。会社の中ではすぐれた質問力を持つ人が上司であることが望ましい。質問によって、相手は考える。上司と部下との関係では、上司の質問によって部下の「考える力」が高められる。
質問力は取材者にも必要です。我が社の編集者はおおむね質問するスキルが高い。取材者と書きましたが、取材するのは編集者だけではありません。営業パーソンも取材しますし、フォトグラファーやデザイナーも取材することがある。僕の考えるところ、取材力は文章力と同じくらい重要なものです。そして、取材力の核となるものが質問力であり、相手から必要な情報を引き出すには質問だけではなく、トータルなコミュニケーション力が必要ということになります。
10代の頃はコミュニケーション力が未発達なのは当然のこと。ですから、質問力一本でも十分。昨日の場合、質問された人(僕)を深く考えさせるのに十分な質問内容でした。こんなに鋭く、答えにくい質問は、講演後の質疑応答でも滅多に出てきません。あらかじめ質問を仕込んできたと思われますが、それにしても大したものです。昨日の企業訪問をもとに、学校で発表会が行われるとのこと。高校生の目に我が社はどのように映っているのか、気になりますね。
質問力というものは、好奇心と関係が深い。別な言葉で表せば、外の世界にどれほど関心を持っているかどうか。
ニューヨーク近代美術館の写真部門キュレーターだったジョン・シャーカフスキーは、1978年「Mirrors and Windows」という写真展を開催。写真表現を「ミラー派」(自己表現の手段)と「ウィンドウ派」(外界の探求)に分類して100名の写真家の作品を展示しました。
写真家としての僕はミラー派に近いところがあります。外界の探求には1990年代までほとんど関心がありませんでした。したがって、質問力が身についていない。ここが僕のちょっとした(決定的な?)弱点といえます。
この弱点を克服しようとコーチング研修を受講するなどしました。それでも過去40年間の蓄積のなさは埋めがたい。今も質問力が身についているとは言えません。過去のスロウ編集者では僕と同タイプの人がたぶん2人いました。僕は「沈黙の取材」と称していましたが、僕以外の2人はたぶん「ウィンドウ派」だったのではないかと思います。外界に対する関心は強かった。だから、取材先の人もそのことを察知して、質問力に長けた編集者には話さないような深い話をすることもありました。撮影者としてそばで観察しながら、「無言の取材力」に密かに驚嘆したものです。
一方、僕の取材スタイルはやはり「ミラー派」から脱することはできず、相手の話に集中しようと思いながらも、絶えず自分や自社と照合してしまう傾向が強い。だから、取材対象は「自分と共通する何か」を持っている人でなければなりません。共通するものがあれば、そこを核として話を深めていくことができる。理想はハーフミラーのような取材の仕方。それがうまくいくときといかないときとがある。
相手を深く考えさせるような質問力。企業経営者は欠かせないスキルといえるでしょう。ミラー派である僕の場合は、もっと自問自答を重ねるが必要があるのかもしれません。