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偶然経営仮説24 目に入らない理由

偶然経営仮説24 目に入らない理由

おはようございます。
 晴天。カメラを持って新得方面へ。目的地があった。おおよその場所は調べ上げていた。だが見つからない。近くにあることは間違いないのだが……。スマホで再度調べる。2、3度繰り返し、結局あきらめることにした。今回は縁がなかったのだろう。撮影しながら中札内方面へ。道の駅でカボチャを買う。帰途、大正にあるあくつで「北の石畳」を購入。なぜか急に生チョコが食べたくなった。スーパーで買い物をしてから帰宅。

見ていても見えない

それにしても不思議なことがあるものです。ちゃんと調べて「ここにあるはず」と思っていたのに見つからない。僕の得た情報だと、場所もわかりやすいはず。見つからない理由がほとんど見つからない。これはどういうことなのだろう? 
 見つけられるタイミングではなかった。あるいは見つけられる心の状態ではなかったということかもしれません。目の前に存在しているのに、まったく目に入っていない。日常の中ではたびたび起こります。たぶん、たびたび起こる人と滅多に起こらない人の両パターンがあるでしょう。
 僕は頻繁に起こるタイプ。本当に目の前30センチくらいのところにあるのに、気づかないということがある。真剣に探しているのに見つからないこともある。メガネをかけていた頃には、メガネをかけているのに「メガネを探している自分」に気づいたことがありました。視度は合っていても、外界にピントが合っていなかったのでしょう。今もそれに近いことがあります。この春からメガネ不要となりましたが、たまに指がメガネの存在を確かめようとする。これはたぶん、ものがちゃんと見えていないからに違いありません。
 存在しているのに見つからない。見えているはずなのに認識できない。視度が合っているのにピントが合わない。こういう経験をしているのは僕だけではないはず。僕の場合は、話のピントが合っていないといった出来事もけっこう多い。よほど意識をしっかり持っていないと、ピント外れの人生になってしまいそうです。
 さて、このようなとき、自分は実際には何を見ていたのか。ここが気になるところです。別な時間、別な空間を見ていることが多い。といっても、SF的な話ではなく、頭の中で映像を浮かべながら現実の世界も同時に見ている。もちろん、現実のほうがリアリティがあるわけですが、頭に浮かぶ映像に気をとられてしまう。その結果、目の前にある重要な何かを見落とすことが多い。このような失敗はしょっちゅう起こります。仕事の場面では細心の注意を払わねばなりません。
 「見えているはずのものが目に入らない」とすれば、「見えないはずのものが目に入る」こともあるのではないか? そうなんです。僕はずっと写真を撮り続けてきて、見えないものを見ようとし続けてきたんですね。実際のところ「見えないものが見える」わけではなく、何となくそんな気がするとか、気配のようなものを感じるといった程度。考え事をしながら撮影している際には、目の前の被写体と気に掛かっている事柄との関連性について気づくこともあります。
 その際には、自分のこれまで見たもの、経験したことすべてと照合しよう無意識的に試みています。そのような撮影の仕方が身についていますから、日常でも写真的なものの見方となることが多い。これがプラスに作用することもある一方、困ったことにも陥りやすい。
 僕らが認識している世界は確かに存在していると思うのですが、自分の頭の中にも別な世界があって、そこでは時間も空間もずいぶん入り乱れています。確かに存在する世界だけ見ようとする人もいますが、僕は内面世界との関連性を見つけながら現実を見ようとする傾向が強い。写真家ばかりではなく、こうした傾向を持つ人は案外多いのではないかと思います。

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