おはようございます。
午前9時半、自宅で役員会。昼は北海道印刷工業組合十勝支部理事会。すでにこの時点で「道内新規感染者200名」が話題となっていた。帯広の感染状況の話も。午後は会議の準備や事務的作業等。4時、中小企業家同友会とかち支部四役会。4時半、幹事会。幹事会終了後の勉強会はC社、O社長。同友会を実に効果的に活用している。また、話の中には僕にとって衝撃的なものが含まれていた。7時15分帰宅。
人間尊重経営
衝撃的な話とは何だったのか? それは「常識が当てはまらない状況に遭遇したとき、どのように反応すべきか」ということでした。たいていの人は、普通に成長して大人になり、普通に一般常識をわきまえている。そんなふうに僕らは思い込んでいるところがあります。だが同時に、そのような人ばかりでないこともよく知っています。そもそも「普通」とは何なのか、ハッキリ答えられるわけではありません。
昨日のO社長の話を聴いて、「なるほど」と思いました。確かに、そういう事例が今後増えていくに違いない。そんな話だったのです。
ある日、お客様が来社し、社員にお茶を出すよう頼んだのだそうです。しかし、いくら待ってもお茶が出てこない。その人は「お茶を入れる」ことを頼まれた時点で固まってしまった……というんですね。理由は単純な話、「これまでの人生の中でお茶を入れたことがなかった」というもの。
そういう場面に出合ったら、僕はどのように反応するのだろう? このあたりに、その人の性格とか経営センスといったものが表れそうですね。「お茶の入れ方を知らない人がいる」という事実に一瞬たじろぎながらも、適切に対処することが求められる。お茶に限らず、これに近い場面に僕も遭遇することがあります。
世代が違えば、育った環境も違う。違う人間なので、その人にとっての普通とか常識も当然違ったものになります。そうした異なる常識を持つ人たちが大勢集まって、会社組織が成り立っている。その組織をきちんと機能させるには、違っていることを認め合うことが第一なのだ。昨日の話のひとつは、そのようなテーマだったのではないかと思います。違いを理解し、その人の立場や考え方を尊重することが大事でしょう。
ただ、自分はそのように相手を尊重しているのかと言われれば、ちょっと怪しいところがあるような気がします。
同友会の中では「人間尊重の経営」といった言葉が出てきます。僕も頭では人間尊重について理解していますが、尊重のレベルが違う。そう感じました。尊重レベルの差が企業力の差に表れる時代なのかもしれません。C社の急速な発展ぶりにも驚かされました。
驚いてばかりはいられません。我が社らしい人間尊重についてもっと考えなければなりません。僕が20年近く前からずっと考え続けていること。それは、ただ単に「努力している人が報われる会社」にすることです。それがきっと我が社らしい人間尊重のあり方。
ここで問題となるのは「努力」という言葉の定義ですね。自分だけのためにひたすら努力する人もいれば、会社のため、地域のために努力している人もいます。できるだけ、自分以外の人たちのために努力し、社会に貢献することで自分の存在価値を高めている。そんな人に報いることのできる会社にしていかなければなりません。
きっと「お茶の入れ方を知らない人」にも、社会貢献できる何かしらの能力があるはずです。我が社にも、あるいは自分自身にも、ちょっと常識外れなところがある。そうした「至らない自分」を自覚した上で、自分の持つ能力を最大限活用して、人のためになるような仕事をする。そのあたりに、社会人としての喜びや自分の存在価値があるのではないかと思います。
我が社の社史の中にも、そんな常識外れな部分を持った人が引き起こしたユニークな事例がいくつもあります。発生当時は「事件」扱いでしたが、数年たつと「エピソード」になる。ここが社史のおもしろいところといえそうです。