
おはようございます。
朝は休日らしく過ごす。10時頃から書斎の大掃除。といっても、書類や資料のPDF化がメイン。見た目が大きく変わるわけではない。それでも、書棚からあふれかけていた書類を処分し、僕としてはスッキリした気分だ。頭はスッキリしたが、眼精疲労が激しい。午後は目を休める。ときどき読書。夕方、いただいた釧路産ホッキ貝を酒蒸しにする。
企業経営者の危機感
自分がデジタルネイティブ世代だったらどんなによいだろう? そう思うことがあります。もちろん、自分たちやそれ以前の世代のよさを否定するものではありません。けれども、急速な世の中の変化の真っ只中にいると、もっとデジタルに精通していれば……と考えずにはおられません。
この状況、どこかで見たことがある。今朝になって、改めて思い出しました。「改めて」と書いたのは、すでに何度も考えているからです。1990年代、いや、80年代だったと思います。NECのPC98シリーズが全盛だった頃。父である我が社の創業者が、パソコン時代の脅威について語っていたことを記憶しています。そのときのシチュエーションに近いものがあるな……。
1980年代は写植の時代。DTPが広がっていくのは1990年代に入ってから。我が社がDTPに切り替わったのはずいぶん早い。年表には1992年とあります。ちょうど同じ頃、東京で仕事をしていた僕もMacを導入していました。しかし、それは「非常に高価なインテリア」となっていた。たまにフォトショップを立ち上げ、何か操作をすると、昼食休憩がとれるくらい処理に時間がかかりました。知り合いのデザイナーは「ロゴを作るときだけMacを使っている」と話していました。当時のソーゴー印刷はかなり時代を先取りしていたに違いありません。
創業者はパソコンをまったく使うことができない人でした。使えるようになろうとチャレンジした形跡はある。しかし、ほぼ100%アナログ。それなのに、2000年、僕が入社したときには当時最先端だったブルーのiMacがずらりと並んでいて壮観でした。工程管理がデジタル化。加えて、当時としてはずいぶん早いCTPの設備が導入されていました。
デジタルには疎いが、時代から取り残されてはいけない。そんな危機感から導入を急いだのだと思います。その決断は正しい。その後、アナログな工程は次第に消えていき、制作・製版はほぼすべてデジタル化されることとなりました。僕もソーゴー印刷入社後、フィルムカメラをやめてデジカメに切り替えました。1990年代から2000年代初頭はデジタル化の時代だったと思います。
その後も部分的、限定的なデジタル化はありましたが、スピードを緩めてしまったところがあります。僕自身も最先端の技術に疎いところがある。iPhoneを使うようになったのも2013年3月。これはちょっと遅い。その後、世界はスマホ時代になっていくわけですが、僕はそのことを予見できずにいました。
2020年は非常にハッキリとした形でDXという方向性が指し示されました。すでにその方向へ向かっていたところにコロナ禍が加わり、誰の目にも明らかになった。状況としては2000年前後の「IT景気」「ドットコム・ブーム」と似ているところがあります。ほどなくアメリカを中心にITバブルは崩壊するわけですが、これは株価崩壊による混乱。IT化はその後も着実に進んでいくことになります。
20年前と現在と間には共通項が多いような気がします。そして何より、僕自身、DXの技術的なところでは頭が追いついていないところがあります。置かれている状況は20年前の創業者に近い。そこで考えることは、DXで「何ができるのか」ではなく、「何をしたいのか」「どうありたいのか」ということ。技術面のほうは「おおよそ把握している」というレベルで、よしとしなければなりません。
しかし、本当は組織のトップがDXに精通しているほうが望ましい。まずは、社内の何人かが最新の知識を持っていること。そして、少なくとも、その話を十分理解できるトップであること。それが今の企業に求められているのではないかと思います。