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第25回 情報飢餓状態で書く

第25回 情報飢餓状態で書く

おはようございます。
 朝は「北海道 来たるべき未来を見つめて」を仕上げる。本文の手直しをしてから、インデザイン上で字数調整。キャプション、見出しもインデザイン上から追加。いつもの進め方だ。10時、デザイナーのA氏に送る。先方校正もすぐに戻ってきた。僕の中ではほぼ校了……なのだが、スロウ編集部ではここから初校が始まる。10時半、某プロジェクトのミーティング。午後は「記憶の中の風景」の写真選び。次は画質調整作業が待っている。さほど難度の高い作業ではないのだが、ここで力尽きた。前日に無理をしすぎたようだ。右腕に力が入らなくなっていた。少し早めに仕事を終える。

スリリングな取材

原稿を書いた後、すべてを出し尽くしたような感覚にとらわれることがあります。みんなはどうなのだろう? だぶん出し尽くしてないだろう……と勝手に想像しています。なぜそういえるのか。それは、みんな「たっぷり取材している」からです。僕は撮影者として、編集者全員と取材に同行しているのでよくわかります。
 ひとりだけ例外がありました。僕同様、取材と撮影をひとりでこなし、自己完結型の記事をつくっているI氏。新入社員時代は一緒に行ったことがありますが、今はひとりで取材に行っているはず。
 ともかく、ほとんどの編集者は取材相手から話をたっぷり聴いてきます。質問も豊富。記事の内容にもよりますが、2時間くらい話を聴く。僕の知る限り、取材時間が一番長くて情報量が多いのは、編集長のM氏でしょう。本1冊書けるのではないかというくらい取材します。取材するうちに、話が発展して、別なテーマが浮かび上がってくることもあります。そうして、企画を急遽変更したり、別な号でもうひとつのテーマを記事にすることもある。
 一方、僕のほうはというと、これが大変なのです。取材の下手さといったら、仕事歴35年とは思えない。僕が最初に取材したのは確か、東京の檜原村にある数馬温泉だったはず。1986年のこと。当時とさほど取材レベルは変わっていない。積極的に喋ってくれる人なら取材らしくなりますが、無口なタイプの人の場合は、空白の時間が流れやすい。過去、僕と同タイプの編集者が2名(いずれも男)いました。編集者としては異端児でした。
 取材量、情報量が決定的に少ない。どうしよう……と思いながら取材を終えることもたまにあります。多少不安な気持ちにとらわれながら、音声データを文字起こしをする(今はオートメモを使っているのでこの作業はなくなりました)。この時点で、「十分ある」か「やっぱり足りない」かのどちらかに分かれます。
 僕の場合、「足りない」というケースが圧倒的に多い。これは情報誌であれば、致命的といってよいでしょう。幸いなことに、スロウはライフスタイス誌(僕の位置づけですが)。とりわけ、僕の場合は取材相手の言葉を借りながら、自分の考えを述べていることが多い。取材相手と自分が一致していると思うような考え方を伝えるようにしているため、記事としての違和感はありません。また、相手の考えと自分の考えを区別できるような書き方を心がけています。
 情報量が足りなければ足りないほど、深く考える。それが僕の書き方になっていて、取材時の「相手の言葉」だけではなく、「その場の雰囲気」「声のトーン」「光の差し込み状態」「温度・湿度」といったものを思い出しながら、書いていきます。なぜ、この場面でこの言葉が出たのだろう? そんな疑問も考える材料となります。同じような意味の言葉、たとえば「買う」「購入」「買収」。どれを使っても意味は通じますが、相手の仕事内容に関係する場合は、微差ではなく決定的な違いとなる。同じように、言葉がその人の感性や感情と直結している場合は、言葉そのものが重要な意味を持っています。そこを解明することも書き手の役割といえるでしょう。
 僕は自然な成り行きとして情報飢餓状態で書くこととなるので、少ない言葉から意味を感じ取って、自分の考えと照合しながら書くようにしています。

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