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第1回 カメラと資本主義

第1回 カメラと資本主義

おはようございます。
 春ですね。昨日はサロマ湖で取材していましたが、汗ばむほどの陽気でした。サロマ湖までは往復約7時間。運転中の眠気に気をつけねばならない季節です。
 さて、「印刷生活」の20話が終わり、次のシリーズをどうしようか考えていました。本当は食べ物系の話にしたいところ。ただ、僕はおいしさを言葉で伝えるのが苦手。2000字も語ることなどできません。いずれ、文章少なめ、写真多数という食べ物シリーズを連載してみたいと思います。
 今日から始まるのは「世の中の変化」。ずいぶんざっくりとしたタイトル。どんな展開になるかわかりませんが、まずは書き始めることにします。

カメラボディが画質を決める時代

20年前までは、ほぼ100%、フィルムを使って写真を撮っていました。ポジかネガかという違いはあっても、カメラにフィルムを装填し、撮影後にはフィルム現像があった(モノクロの場合はさらにプリント作業がある)。
 写真を大伸ばしする、あるいは作品として発表する場合には、「画質」というものが重要な鍵を握ることになります。このため、画質優先で考える写真家は中判や大型カメラを使用します。使うフィルムはブローニーだったり、4×5(しのご)ということになります。
 僕も中判カメラをよく使っていました。6×6の二眼レフだけでも4台持っていた。6×7の一眼レフはおもに仕事用。大型カメラに6×9のフィルムホルダーをつけてとることも多かったですね。一時期は、個展用に4×5フィルムもよく使っていました。
 カメラやレンズをはじめとする撮影機材には、当然ながら高いものも安いものもありました。ハッセルとかリンホフといったカメラは高嶺の花……というか、僕は購入を検討したことすらありません。
 ただ、純粋に画質という観点からいうと、画質を決定づけるのはカメラのボディ側ではなかった。レンズの性能とコンディション、そして使用するフィルムのサイズと種類と乳剤の状態。これによって撮影時における画質が決定する。
 さらにフィルム現像の段階でも大きく結果が違ってきます。モノクロの場合は自分で現像することになりますから、細心の注意を払って行われます。
 こうしたさまざまな要素が絡み合って画質が決定づけられる。高価なカメラを揃えたから高画質な写真が撮れるというものではなかったのです。

デジタルカメラの進歩によって、仕事でも記念写真でもフィルムカメラを使うことはなくなりました。一部、趣味的に使っている人もいるでしょうが、我が社の関係者で仕事に使っている人はひとりもいません。圧倒的に便利。いちいちスキャンする必要もなくなりました。
 いい時代になった。個人的にはそう思っているのですが、少しだけ引っかかるところもあります。
 それは写真の画質が「ボディの性能で決まってしまう」というところ。フィルム時代であれば、4万円のカメラでも50万円のカメラでも、同じ35ミリフィルムを使う限りでは、画質に大差はありませんでした(レンズの性能差はありますが)。実際、僕の使っていたヤシカマット124Gは4、5万くらいの価格だったと思いますが、ハッセルやローライで撮った写真とさほど違いがあるとは思えない。
 ところが、デジカメの時代になると、カメラボディへの投資額の差が画質の差となって現れる。デジカメ資本主義、またはデジカメ格差社会がやってきたと考えるべきなのかもしれません。
 そんな中、ずいぶん頻繁にカメラを買い換えている自分がいることに気づきました。理由は2つあります。
 ひとつは、カメラが故障しやすくなったこと。修理しようと思うと、「買い換えたほうがよいのでは?」と思うような金額を提示される。そして、実際に買い換えてしまうというパターン。
 もうひとつは、数年で性能が劇的に上がっていくため、つい購入してしまうというパターン。僕の中にある物質主義的マインドが刺激されてしまうのです。

カメラとの関わり方がずいぶん変わってしまいました。
 以前であれば、「最近使っていなかったな……」と思って、古いカメラを取り出し撮影することがありましたが、そのようなカメラ、機材は一部を除いて手放してしまいました。気づくと、最新のデジカメだけ使っています。「一生もの」という言葉はカメラに関する限り、当てはまらなくなってしまいました。「3年もの」「5年もの」になってしまっています。
 残念ながらカメラへの愛着心はフィルムカメラに比べると薄らいでいます。代わりに愛着心をレンズに向けるしかありません。
 考えてみると、カメラに限らずさまざまなジャンルで同じような現象が起こっているのではないでしょうか? デジタル化するということはそういうことなのか……。自宅にあるパソコンもプリンタも5年くらいで買い換えています。ちょうどそのくらい使うと深刻な症状が現れて、買い換えるしかないと思うのようになるのです。あらかじめちゃんと故障するように設計されているのではないか……と疑ってしまうほど、ほどよいタイミングで故障する。不思議です。
 現代社会はこうした物質主義末期の様相を呈しており、次第に居心地の悪さを感じることが多くなってきました。ですから、今の若手の人たちは「ものを持たない生活」に向かっています。それは健全ともいえますし、僕のような人間からするとうらやましくもある。
 僕は写真に関しては画質を重視せざるを得ず、今後も設備投資を続けることになるでしょう。また、仕事の効率性を考えるとパソコン関連もできるだけ新しいものを整えようと思っています。この2つかな。あとはできるだけ資本主義末期の状況から自由になり、シンプルな暮らしを取り戻したい……。ただ、これまでの物質主義的生活傾向からなかなか脱することができないでいる……というのが現状です。

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