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第2回 ひとり格差社会

第2回 ひとり格差社会

おはようございます。
 2018年度経営指針研究会が始まりました。昨日はオリエンテーション。中小企業家同友会札幌支部から(株)ブレンドワークスの前川裕一社長をお招きし、講演とグループ討議が行われました。テーマは「激戦区・すすきので躍進する企業づくり ~社員と共に業界の常識を壊す~」。おもしろい話でした。話そのものもユニークだし、事例としても興味深い。研究生の方々も大いに刺激を受けたのではないでしょうか。
 経営指針研究会は今期も3グループで行われる運びとなりそう。たぶん12名でのスタートかな。1グループ4名体制なら、かなり濃いディスカッションができるでしょう。

「左」の仕事が減っていく

今朝、僕は筋肉痛とともに目覚めました。今朝だけではなく、ここ数日というべきかもしれません。やけに右手首を酷使する活動が多いのです。といっても、ドライバーでネジを留めるといった類いのものですが……。
 考えてみると、右手にとっては受難の時代といえます。スロウの入稿時期になると、僕は決まって右手首を痛めることになる。Photoshopを多用するため、マウスを使い続けることになるからです。デザイナーの人たちの右手首は大丈夫なのだろうか? 気になりますね。
 右手首だけではありません。当然ながら、目も酷使することになる。デザイナーのうち、何人かは目の疲れを訴えています。一定時間ディスプレイに向かったら休憩を取る必要がありますね。仕事に夢中になりすぎないよう、自己管理しなければなりません。僕も、3時間くらいパソコンに向かっていて、気づくと眼精疲労→肩凝り→頭痛と症状が進んでしまうことがあります。こうなると、ブルーベリーを食べても手遅れです。
 僕は数年前、ある事実に気づきました。自分の体の中で「格差」が進行しているのではないか……ということ。やけに体の「右側」ばかり使っているのです。
 子供の頃にもうっすら感じてはいました。どうして右手で箸を持ったり、文字を書いたりするのだろう? そんな素朴な疑問。左利きの人は左手ばかり、右利きの人は右手ばかり使います。
 そんなことから、「左手にも仕事を与えよう」と考え、僕は天津甘栗の皮をむくのは左手と決めました。11歳頃のことだったと思います。以来、手で皮をむくのは左手の仕事になりました。ミカンの皮も100%左手主導で行っています。他にも、左手でできるものは左手で、という方針の下、仕事量の平準化を図っていきました。

僕が写真を始めた最初の頃に手にしたカメラは、コンタックスRTSという機種でした。この時代のカメラは左右ほぼ均等に仕事が割り当てられていましたね。
 まず、左手でカメラを支える。左手にはある程度の筋力が求められていました。ピントを合わせるのも左手の仕事です。右手はその間、何をしているのかというと、露出補正を行ったり、シャッターボタンに人差し指をかけ、シャッターチャンスを待っているのです。シャッターを押したら、右手親指を使ってレバーで巻き上げる。左右の手の共同作業によって、撮影が行われていた時代といえます。
 ところが、AFの時代になった頃から左手の作業量が激減することになりました。いつの間にか、カメラボディはグリップのついたデザインとなり、右手でボディをつかむことが多くなった。フィルムカメラからデジカメへという変化も重要ですが、左手の作業量が激減した最大の要因はAFにあるのではないかと僕はにらんでいます。自分というひとりの人間の中で格差が拡大してしまったのです。
 さらに言うと、右目と左目の仕事量の格差も深刻です。これはフォトグラファーであれば、誰もが感じていることかもしれません。とにかく、右目を酷使することになるのです。ファインダーを覗くのは基本的に右目。中には左目という人もいるかもしれませんが、左目を使うと右目は右手と重なって何も見ることができません。通常は、右目でファインダーを覗き、左目で周囲の様子を捉える。そのようにして撮影していきます。
 せめて暗室作業で使うフォーカススコープやポジをチェックするルーペを覗くときくらいは左目を使おう……。そう頭では意識していても、やはり「覗くのは右目」という習慣ができてしまっている。そういうわけで、写真に関する仕事をする際は、圧倒的に右目を酷使することになってしまいました。

こうしたことを感じているのはフォトグラファーだけではないでしょう。2000年以降、僕はAT車(オートマ)に乗るようになりました。クラッチがなくなって、左足には仕事が何もないんです。右足は忙しそうにアクセルやブレーキを踏んでいるというのに、左足は常時遊んでいる……。これは大問題だと思っているのですが、誰も問題視していないようですね。
 会社の中で、何もせず遊んでいる人がいたら大問題。なのに、自分の体の中では仕事量の格差がどんどん進行している。
 「一日は一生の縮図」と言われます。これを少しアレンジすると、「人体は会社の縮図」と言えなくもない(ちょっと無理な感じもしますが)。今自分の体の中で起こっているような格差が、会社の中、あるいは世の中で起こっているのではなかろうか? 
 これまで「ピント合わせを行ってきた左手」のような存在の人が活躍の場を奪われてしまっているのではないか? 自動車運転中の左足のように、手持ちぶさた(足ですが)な状態になっていたりしないだろうか? 疑問が次々と湧いてきます。
 左手、左足、左目に活躍の場を……。そして、左的な立場(イデオロギーのことではありません)に置かれていると思っている人は、自分の立ち位置を変えていかねばなりませんね。求められる能力が昔と今とではずいぶん変わってしまったのです。変わったことを嘆くよりも、自分が変わっていくほうがはるかに建設的。
 僕の左手、左足、左目にも新たな仕事を与えようと思っているところです。

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