
おはようございます。
午前は1時間、午後は3時間、計4時間使って、ある文書をまとめようと試みる。しかし、うまくまとまらない。こういうときは、ともかく伝えるべきことを箇条書きにしてみることだ。オール箇条書き。記事を書くわけではないから、このままでよいのかもしれない。あとは、図版を作成したり、関連資料を探す作業。最初はパワーポイントでまとめようと思ったが、文字組みの美しさを考え、インデザインを使うことにした。
土曜に続いて模様替えを行う。さらに快適な空間になった。
強烈な何か
原稿を書くにはテーマ(主題)が必要。言うまでもないことですが、書きたいテーマが明確でなければ、文章は迷走することになるでしょう。問題はテーマの決め方にある。僕はそう睨んでいます。もっとも、僕に睨まれても恐くはありませんのでご安心ください。
たとえば、雑誌の中で8ページ与えられていて、テーマは自分で決めてよいと仮定します。雑誌スロウの場合、編集部内で「白ページ」と呼ばれているページがあります。ここは編集者が好きなテーマで書いてよいことになっています(もちろん編集理念と合致していなければなりませんが)。自分が個人的に関心を持っているテーマについて、自由に書くことができる。編集者の特権ともいえるページ。一読者としても、こうしたページは興味深く読むことができるに違いありません。
雑誌にしろ、ブログにしろ、自由にのびのびと書かれている文章を読むのは楽しい(または興味深い)ものです。反対に、義務的、あるいは技術だけで書かれている文章を読んでも、心が動かされることはありません。情報としての価値はあるものの、それ以上の何物でもない。したがって、テーマ性やメッセージ性が感じられない文章は、単なる情報として受け取るほかありません。
単なる情報はAIに取って代わられることになるでしょう。人間の書き手(変な言い回しかな?)としては、最低限、テーマを明確にし、何か意味のあることを伝えなければなりません。そこには自分だけが持っている「強烈な何か」が必要なのだと僕は考えています。
もう10年以上前、僕は社内勉強会用に「強烈な5ステップ」という図を考え出しました。「強烈な疑問」「強烈な動機」「強烈な目的」「強烈なアイデンティティ」「強烈なビジョン」の5つからなるシンプルな図。すべてについて考える必要はないのですが、このうちひとつかふたつでも「強烈な何か」が明らかになれば、自分の仕事人生のテーマが定まってくるのではないかと思うのです。
会社員には「チームで成果をつくり出すことができる」という強みがあります。その一方、「テーマが不明確になりやすい」という弱点を併せ持っている。油断すると、仕事への取り組み姿勢が受け身的、義務的になりやすいんですね。書き手が受け身的、義務的になると、とたんにつまらない文章になってしまいますから要注意です。自分の裡に秘めた「強烈な何か」について思い出すことが大切でしょう。
人間の記憶というものは不思議なものです。思い出したいことは思い出せないことが案外多い。逆に、覚えていても人生に何のプラスにもならないようなことを鮮明に覚えていたりする。僕の場合は、この傾向が著しく、ほとんど無駄な情報が頭の中を占拠しているような気がしてなりません。
しかし、その中に何か意味があるのではないかと近年になって考えるようになりました。「強烈」とは対極にあるような意味の薄い記憶の背後に、何か強烈なものが隠れているのではないか? そのようなことを考えながら、記事のテーマを定めています。
もちろん、外からの刺激によってテーマが決まるケースもあります。その際には、常に過去の記憶と照合しながら意思決定する。プロセスは異なっても、編集者の多くはそのようにテーマを定めているのではないかと思います。取材活動は取材対象に向けて行われるものですが、同時に、自分自身を取材していると言ってよいのかもしれません。