
おはようございます。
午前8時45分出社。9時来客。打ち合わせ。10時半帰宅。自宅ではZOOM会議が行われていた。僕は書斎で資料をまとめる作業。12時半、帯広ロータリークラブ例会。ZOOM参加。1時半、十勝経営者大学「北海道論コース」第5講。講師は北海学園大学の古林英一教授。「北海道のIR問題と自然環境」というテーマ。いくつもの問題が絡み合っていることがわかった。話は国立公園の問題にまで及んだ。考えさせられる問題だ。6時、とかち機構理事会。7時半終了。
偶然の意味づけ
今朝、4月に依頼されている講演のテーマについて考えていました。30秒くらいで考えをまとめて、メールに返信しようと思ったのですが、つい考え込んでしまった。「しまった」と思ったときにはもう遅い。深みにはまり、気づくと45分経過していました。テーマが与えられている場合、演題はすんなり決まるもの。テーマは自由というケースでは、けっこう迷ってしまうものです。
さんざん悩んだあげく、「我が社の20年周期とDX」というテーマに設定しました。ある程度社歴の長い会社の場合、何か周期的に起こる出来事があるのではないか、と僕は考えています。それが12年なのか、20年なのかはわかりません。我が社は20年周期。そして、中間の10年にも何かしらの出来事が起こる。
起こる出来事には意味がある。もしかすると、単なる偶然に過ぎないのかもしれません。しかし、偶然を意味づけすることによって、その後の成長・発展につながることがあるものです。単なる偶然も、意味づけすることで「意味ある偶然」となる。「単なる」で終わらせるか、「意味ある」に変えるかは自分の考え方次第ということになります。
その種の偶然は人生の中にも、企業経営の中にも、無数に存在するといってよいでしょう。偶然を意味づけすることが習慣化されている人の場合は、自分史の中に周期的に発生する出来事があるのではないかと思います。導入期、成長期、成熟期、衰退期というサイクルが人生の中で巡ってくる。それが何年サイクルなのかは人によって違うような気がします。
僕はたぶん20年ですね。そして、偶然なのか必然なのか、我が社のサイクルも同じ20年なのです。
長年写真を撮り続けてきたため、僕は偶然についてあれこれ考え続けています。ほとんどの人が気に留めないような偶然。写真で言えば、画面の片隅にほんの小さく写り込んでいる人物、動物、植物など。それが写真全体に少なからぬ影響を及ぼすことがあるものです。そうした偶然を集めて個展を開いたこともありました。もう30年近く前の話ですね。
それはともかく、小さな偶然がその後に起こる大きな出来事の伏線となっていることがあります。それは幸運な偶然のこともあれば、不運な偶然であることもある。小さな偶然が発生した時点ではよくわからない、というのが正直なところ。たぶん、幸運にも不運にも転ぶ可能性があると考えるべきでしょう。つまり、小さな偶然の意味づけの仕方によって、その後の展開が変わっていく。
小さな偶然というものは、いわばテストマーケティングのようなものではないか? 解釈を誤って、軌道修正せぬまま行動した結果、痛い目に遭う。過去にそうしたことが何度かありました。「小さな偶然」を正しく解釈し、適切な意味づけをすることによって、その後の「大きな出来事」を好ましいものとする。そう簡単にはいかないとは思いますが、優れた経営者はごく自然にそれを行っているのではないかと思います。
僕のまわり、そして社内。さまざまな場所で「小さな偶然」が発生しています。すでに我が社では変革に向けて動き出しているところです。その一方では、同時進行的に「小さな偶然」も起こり続けている。そうした偶然はセンサーのような役割を果たしています。その意味するところを察知し続けなければなりません。