
おはようございます。
午前中は買い物。ちゃんと買い物をしたのは2週間ぶり。11時半帰宅。購入したばかりのWi-Fi中継機を取り付ける。切れたりつながったりを繰り返していた我が家の西半分だったが、嘘のようにちゃんとつながるようになった。これまで使っていた中継機は何だったのか……と思うほど。昼食後、しばらく休日として過ごす。だが、やらねばならないことがある。重い腰(重いのは腰ばかりではないが)を上げ、パソコンに向かう。しばらくすると、アイデアが浮かんだ。6時20分、仕事を終える。
目に見えない問題
我が家のWi-Fi問題はあっさり解決しました。問題はこれまで使っていたWi-Fi中継機。これがまったく機能していなかったということなのでしょう。これで切れたりつながったりというストレスから解放されます。
Wi-Fi関係のストレスは、目に見えないため余計に増幅されてしまいます。原因を特定しにくい。Wi-Fiに限らず、パソコン関係のトラブルはわけがわからないですね。パソコンを使い続けると、いつの間にか動作が重くなっていくというのも、よくわからない現象。軽くするためのソフトがいくつもありますが、どれも根本的に問題解決してくれるわけではありません。
社内の問題、地域の問題、日本や世界の問題について考えてみても、「目に見えない原因」が増えているような気がします。きっと、見える人には見えているのでしょう。けれども、目に見えずにストレスを感じている人、何が問題なのかわからない人、そもそも問題の存在に気づいていない人が多いに違いありません。
問題は確かに存在しています。しかし、世の中が複雑化していって、問題の原因、さらには問題そのものも見えにくくなっている。その一方では、情報爆発が起こり、ひとりの人間の頭では処理しきれなくなってもいます。考えても考えてもわからない。そんな状態が続くと、考えることそのものをあきらめたり、逃避的な傾向が現れる。
そんな状態のときに「答らしきもの」を提示されると、あっという間に飛びついてしまうことになるかもしれません。21世紀に入ってから、そのような現象が増えています。これはインターネットの普及とともに顕著となり、SNSでさらに拡大しているように思われます。
数日前、「直感」という言葉の危うさについて話題に上りました。本人としては「直感に従って決めた」つもりであっても、本来意味するところの直感ではないことが多いと思うんですね。直感には経験、知識、理解といったものが必要であるわけですが、経験も知識も乏しく、さほど深く考えることなく物事を決める。それは直感とは似て非なるもの。本能とか感情だけで決めてしまうリスクに気づかねばなりません。
したがって、面倒ではあるものの、データを重視する、数値化するといった努力が欠かせないのではないか。最近、特にそう感じるようになりました。見えにくいものを可能な限り見える化する。データや経験を蓄積していくことで、直感も働くようになっていくことでしょう。将棋のプロ棋士のいう「直感」と人生経験の浅い人のいう「直感」との間には、相当な開きがあるに違いありません。
直感を磨くには、自然に親しんだり、滝に打たれたりするのもよいのかもしれませんが、もっと地道な日常行動が大切なのではないかと思います。仕事に関して言えば、新聞や経済誌を読むであるとか、業務に関連するさまざまなデータを収集・分析するとか、社内で実際に起こっている問題を正確に把握するとか……。そう言われると、僕の現状把握力はとても十分とは言えません。
日経ビジネスに田中均氏の記事があって、その中に「あらゆる段階で情報を共有すること」とありました。その仕組みができれば、直感力が働く企業になっていくのだと思います。
