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仕事観について93 幸福度考

仕事観について93 幸福度考

おはようございます。
 めずらしく、Googleカレンダーの予定が真っ白な一日。ひたすらパソコンに向かう。ここで一気に仕事を進めなければ。進むには進んだが、わからない数字、わからない内容が多い。夕方は取材の準備をする。

仕事観と幸福

3月は今日を含めて、残り6日間。何となくソワソワしてきますね。会社としては3月が仕事量のピーク。ですが、僕は4月が一年のうちでもっともハードな日々を過ごすこととなります。その準備がまだできていない。スロウ次号の取材も、まだこれからという段階です。
 そんな中、1週間後には新卒の新入社員が入社してきます。新入社員にとっては、3月30日の中小企業家同友会とかち支部合同入社式が初日と言えるでしょう。社会人としていよいよ第一歩を踏み出す。期待と不安の入り交じった心持ち。僕も36年前のことを覚えています。そのときには、常識では考えられないミスをしたものです。緊張していたためか、入社式に革靴ではなくスニーカーを履いていってしまった。
 この上下のミスマッチ感がその後の僕の仕事人生に、少なからぬ影響を及ぼしているような気がします。ZOOMを使って在宅ワークをする人が増えましたから、上下の服装のミスマッチは市民権を得たといってよいのかもしれません。ZOOMに限らず、昔のミスマッチは今日ではクリエイティブに映ることがあります。36年前、僕は先進的すぎた。そう解釈することにしましょう。
 今朝は、ある講演テーマについて考えていました。「幸福度」と関係する話が求められているのですが、この「幸福」という言葉をどのように定義づけるか、さまざまな考えがあるでしょう。人間であれば、誰一人例外なく求めているもの。ですが、その解釈は一人ひとり異なっています。
 新入社員のほとんどの人は、仕事を通じて自分を成長させたい、やり甲斐のある仕事がしたい、仕事を通じて自分もまわりの人も幸せにさせたい……と考えているに違いありません。とても健全な仕事観を頭の中で描きながら、社会人の第一歩を踏み出す。問題は、それを1年後、5年後、10年後、30年後、持ち続けることができるかどうか。そのまま持ち続けるというのは、不可能に近いかもしれません。
 仕事観は変化して当然ともいます。現実の仕事に向き合うと、理想とはほど遠い出来事に毎日のように出合うことになります。しかし、自分の持つ理想像を小さくしたり、歪曲すべきではないと思うんですね。困難な現実の中でどのようにビジョンに近づいていくか。その過程の中に仕事のやり甲斐があったり、幸せを感じたりするのだと思います。
 仕事人生の初期段階では、思い違いをする人も出てくるでしょう。どこかに「やり甲斐のある仕事が存在する」とか「自分を成長させてくれる会社がある」といった誤解。もちろん、そんな仕事、そんな会社もたくさんあるわけですが、それは「自分が高い成長意欲を持っていること」という条件付きなのです。意欲の乏しい人がやり甲斐のある仕事を与えられたとしても、「やり甲斐がある」とはきっと感じないことでしょう。いくら教育システムが整っている会社でも、学ぶ気持ちが小さければ成長はあり得ません。すべて本人次第。
 成長もやり甲斐も、自分の意欲や仕事観が基点となる。同様に、仕事を通じて幸せになれるかどうか、についても仕事観と深い関わりがあることに気づくべきでしょう。解釈の分かれるところですが、僕の考えでは「幸せになる」のではなく、「幸せであることに気づく(または感じる)」なんですね。すでに幸せは手にしている。ですが、そのことに十分気づくだけの感性を持っていなければ、何となく満たされない気持ちを持ちながら働くようになる。
 僕は遠回りをして、少しだけわかるようになりました。40年近く前、河井寛次郎記念館で見つけた書、「助からないと思っても助かって居る」の意味に気づいたのです。すでに自分は助けられていた。この解釈が正しければ、「すでに自分は幸福なのだ」ということになる。幸福かどうかは、幸せであること感じ取る力によって決まるのだと思うようになりました。

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