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門外漢の原稿作成技法第33回 アウトライナーで構成をまとめる

門外漢の原稿作成技法第33回 アウトライナーで構成をまとめる

おはようございます。
 朝は中小企業家同友会とかち支部幹事会用の文章。2200字ほど。新年度でもあるため、少し時間がかかった。10時頃からスロウ67号にとりかかる。まずは写真選び。続いて、インデザインに配置。例によってオートメモからテキスト化した取材内容をプリントアウト。だが、録音の仕方がイマイチだったのか、使えそうにない。音声を聞きながらアウトライナーに入力していく。これはこれで機能的だ。昼食後からいよいよ原稿づくりに取りかかる。本文を書き始める前に、アウトライナーで文章の構成をまとめてみた。これはふだんとは異なる進め方。頭の中が整理され、いい感じではある。だが、800字ほど進んだところで調べ物をすることになった。エバーノートから7年前のデータを呼び出す。必要な資料は見つかったが、時間がかかった。いつもの通り、スローな書き出しとなった。

「ぼんやり」と「矛盾」が必要

WorkFlowyというアウトライナーツールを使い始めたのですが、原稿作成に使うのは今回が初めて。パワーポイント作成では大きな威力を発揮しました。文章づくりではどうなのでしょう? まだ1000字ちょっと書いただけなので、やってみなければわかりません。けれども、すでに頭の中は十分整理されているような気がします。
 この「頭の中が整理されている」という状態。大事なことではあるのですが、整理されすぎると文章としてはおもしろみがなくなることがある。少しぼんやりしていたり、ほんのわずかの矛盾が含まれているほうが文章のおもしろみが増すというものです。ぼんやりしたところ、矛盾しているところを何とかしたい。そんな気持ちを強く意識することになる。そうすると、ぼんやり、矛盾を解決するために、脳細胞が本気になるんですね。そうして、一風変わったエビデンスを見つけ出したり、自分でも気づかなかったような気持ちの動きを察知したり、自分の中にある関心のありかを発見したりする。文章を書いていて、一番盛り上がるところと言ってよいでしょう。
 読み手の気持ちになってみると、どういうことになるのでしょうか? 個人差はあると思いますが、理路整然としすぎている文章にはさほどおもしろさを感じません。もちろん、書かれている内容そのものにインパクトがあるという場合は別。インパクトが大きければ、事実を羅列するだけでも十分。ですが、僕らの書く記事の多くは、日常的に営まれていることであったり、魅力的だが普通に暮らしている人の人生そのものであったりします。新聞紙面を飾るようなものとは切り口が異なります。
 だからこそ、ストーリー性が重要ですし、書き手の視点が盛り込まれている必要がある。取材相手と自分との間には、共通する価値観もあれば、ちょっとした違いもある。100%理解し合うことなど不可能。普通に考えると、2時間程度の取材で相手のことがわかるはずはありません。原稿を書き始めてから、ぼんやりしたり、矛盾が噴出するのは当然といってよさそうです。
 取材の中で解消できなかった疑問点について、原稿を書き始めてから再度考えることになります。自分の中で仮説を立て、調べてみたりもする。僕にとっては、そのような手間のかかる時間がどうしても必要となる。他の編集者の人たちはどのようにしているのでしょうか? 僕の場合は、書いている時間よりも調べ物をしている時間のほうが長いような気がします。
 丹念に調べたからといって、疑問が解消するはずはなく、さらなる疑問が浮かび上がってくる。矛盾がスッキリなくなることもありません。注意深い読者であれば、僕の文章の中にあるちょっとした論理の破綻に気づくかもしれません。僕は自分の文章にある小さな破綻は容認するようにしています。同様に、誰かの書いた文章に小さな破綻を見つけると、少しうれしい気持ちになったりする。そこに何かがあると感じるんですね。
 逆に、揺るぎない鉄壁の論理展開によって書き進められた文章は、僕の場合、最後まで読み切る自信がありません。正論を押しつけられると逃げ出したくなる。そんな心境になってくるのです。このあたり、文章、記事の目的にもよりますね。
 アウトライナーで構成は固まりましたが、たぶん、どこかで構成を無視した書き方になっていくような気がします。

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