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門外漢の原稿作成技法第36回 書き手の人生観

門外漢の原稿作成技法第36回 書き手の人生観

おはようございます。
 昨日は「記憶の中の風景」の制作。朝は写真選び。朝食後は画質調整作業。いつも通り、3点画質調整したところでインデザインに配置し、見開きごとのバランスを確認。10時、某プロジェクト会議が自宅とZOOMで行われる。僕は「記憶の中の風景」の最終段階に入っていた。320文字程度の短い文章。10分ほどでサッと書くこともあれば、1時間以上かかることもある。昨日は20分ほどで書いた。データをデザイナーに送る。スロウ67号の山は乗り越えた。昼は帯広ロータリークラブ例会。すべてを出し切ったような状態になっていたため、ZOOM参加。午後2時、出社&来客。帰宅後は事務的作業。夕方買い物。8時半には熟睡していた。

自分を出し切る

原稿執筆時間は文字数に比例するのかどうか。原稿の種類にもよりますから、単純には比例しないでしょう。むしろ、話の複雑さに比例する。すでに考えがまとまっていることなら、早く書くことができます。事実を羅列するだけの文章も、当然早く書くことができるでしょう。
 時間がかかるのは、考えながら書く、書きながら考えるという種類の文章。もちろん、書き始める前に8割方考えはまとめておくのですが、書いてみなければわからないという部分を2割ほど残しておく。そのほうが自分の本心を引き出しやすいんですね。予定調和的な文章にしないためにも、よくわからない部分を残しておくほうがよい。僕はそう考えています。
 「記憶の中の風景」の文章は本当に短く、320文字の中で自分の写真観の一部を伝えなければなりません。ただ、不思議なことに「短い」と思うときと「果てしなく長い」と感じるときがあるのです。果てしなく長いと感じるときには、締め切りが差し迫っているというのに、つい時間をかけてしまいます。ブログの文章も同様ですね。1600字ほどの文章。これが果てしなく長いと感じる朝がある。一方、ほぼノンストップで書き進む日もあります。
 これはすべて、考えがまとまっているかどうか、自分の頭の中が複雑になっているかどうかということでしょう。わかりきったことを単純に書いても意味がありませんから、複雑なことをある程度わかりやすく編集して文章表現することになります。話が複雑であればあるほど、言葉に置き換えるのに時間がかかる。これは文字数の問題ではありません。
 また、このようにも考えられます。
 すでに長い時間をかけ考え続けていて8割方結論が出かかっているテーマであれば、複雑な中身であっても比較的早く書き上げることができる。写真に関して、僕は44年間考え続けている。この期間が十分長いとは思っていませんが、5年、10年の人よりも思考を蓄積してきている(質の問題はあるかもしれませんが)。この積み重ねが重要だと思うんですね。
 自分が書いている、またはこれから書こうとする原稿について、自分の中にどれだけ思考の蓄積があるのか。ここが浅いと浅い文章となり、深いと味わい深い文章となる。軽くて口当たりのよい文章もあってよいわけですが、それだけでは読後に何も残らない。
 そう考えていくと、文章の書き手にとって重要なのは、思考を積み重ねるような生き方をしてきたかどうか、ではないかと思います。日々考え続けているかどうか。あるいは、人生の重要局面において深く考える時間を確保してきたのかどうか。年齢の問題ではなく、どういう生き方をしてきているのか。ここが重要ですね。
 深く考えながら生きてきた人の場合は、20代であっても驚くほど深い文章を書くことがあります。短い文章でも長い文章でも、その人の生きてきた人生が言葉の端々から伝わってくる。その人の人生観に触れるような文章に出合うことで、読み手の人生は豊かなものとなる。そういう文章を書くことがひとつの目的ですし、我が社の出版物もそうあるべきだと考えています。そのためには「自分を出し切る」という執筆姿勢を持ち続けなければなりません。

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