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取材記録15 最後は骨になる

取材記録15 最後は骨になる

おはようございます
 午前9時過ぎ出発。11時頃、富良野着。GW期間中2回目となる「ゆったりある記」の取材。気温は低い。満開の桜もあったが、全体的にはまだこれからといったところ。2時間弱歩く。歩き始めは肌寒かったが、次第に体が温まってきた。帰途、新得でエゾノリュウキンカを撮影。その後、買い物をしてから帰宅。

「白骨化」した植物の魅力

気温は低いものの、GW期間中で天気のよい一日でした。そのためか、やけに交通量が多い。フラノマルシェ1で買い物をしようか……と思っていたのですが、駐車場はいっぱい。コロナの危険を感じて、あきらめるほどでした。今後、感染拡大が地方都市に拡散していくことになるのでしょうか。
 それはともかく、「ゆったりある記」で訪れた場所は、市街地に隣接しているにもかかわらず、歩いている人はほとんどいませんでした。途中、ひと組の家族とすれ違っただけ。そのときだけマスクを着用。よく整備されている遊歩道なのに歩く人が少ないのは、まだ桜が咲き始めだからなのか。それてもコロナ禍でが続いて「人の集まる場所へ行きたい」という欲求が高まっているためなのか。いずれにせよ、落ち着いて撮影できたのは幸運でした。
 僕にとっては被写体の宝庫といってよい場所。おもしろものがたくさんありました。落ち葉とか松かさといった類いのものですが。ただ、地面にばかり執着していると、「ゆったりある記」の取材からかけ離れていってしまいます。ほどよく、自分の好きなものを撮りながら、誌面に登場しそうな写真を撮っていく。このバランスが案外重要。ある一定のテンションを保つには、個人的に興味を持つことのできる被写体の存在が欠かせません。
 人間も動物も、死ぬと骨だけになるわけですが、植物にも僕は「骨のようなもの」を感じています。一番わかりやすいのは、砂浜に打ち上げられた流木。砂で磨かれていくうちに、白骨化しているように見えるものがあります。ユニークな形の流木は、気に入るとたまに拾ってくる。僕が持ち帰るのは「小骨」程度の大きさのもの。今、そのうちのひとつは部屋の中で「マスク掛け」として使われています。
 木の枝は形も大きさも質感も「骨」に近いのですが、それ以外のもののにも僕は「骨」を感じるんですね。昨日の取材中のもそれに近いものをいくつか見つけました。白骨化した葉っぱ。これはもう、40年近く前から気になっている被写体。近寄って撮ることになりますから、本来であればマクロレンズを使うべき場面でしょう。
 昨日は「ゆったりある記」の取材であったため、必要最小限の装備で歩きました。レンズ交換はしないと決め、メインのカメラには超高倍率ズームが付いたものを使用。サブカメラは単焦点の超広角レンズ付き。この組み合わせの弱点は、クローズアップに弱いこと。超広角をあきらめ、マクロを付けるのが正解なのかもしれません。
 超高倍率ズームレンズでクローズアップ撮影をするには、やや離れた場所から思い切り超望遠で撮ることになります。手ぶれしやすく、ピントを合わせにくい。フレーミングにも苦労します。あまりよい方法とはいえません。ただ、超望遠ならではのおもしろさはありますね。100ミリ前後のマクロレンズとは違った写真になります。
 「骨」に話を戻します。動物も植物も最後は骨になる。ときには人工物も骨になります。38年くらい前、僕は見事に白骨化した廃車を見たことがあります。白くはなかったので白骨ではありませんが、その形状と質感から僕は「骨」を感じました。ただし、美しさを感じるのは、僕の場合、やはり植物ですね。桜やコブシの花を見上げて撮影するのも好きですが、地面に落ちている微細なものに魅せられることが多い。昨日、カメラにマクロレンズが付いていたらどうなっていたのか? きっと、取材時間がもう30分くらい延びたに違いありません。

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