
おはようございます。
午前8時出発。11時過ぎ、室蘭着。今月3回目となる「ゆったりある記」の取材。北海道に黄砂が飛んできている。青空だが、やや濁った色。それでも取材にはまったく支障なし。春の野の花を一通り撮ることができた。午後1時半頃、取材終了。帰途、苫小牧に立ち寄る。興味深い建物を見学。6時45分帰宅。
恵まれていること
森の中を歩くとすれば、今がベストシーズンですね。なのに、昨日の散策コースには誰ひとりいない。ニリンソウやエンレイソウがひっそりと咲き誇るのみ。おかげでマスクをする必要なく、2時間撮影し続けることができました。
室蘭市街地から車で10分ほどの場所。こんなところに、自然を身近に感じられるところがある。道内各都市、車で10分か20分走らせれば、自然豊かな場所があるはず。それが地方都市の魅力ですね。
もちろん、東京都内にもあることにはあります。僕はかつて西荻窪に拠点がありましたから、井の頭公園や善福寺公園へよく行きました。それぞれ魅力的な場所。帰りに「いせや」で一杯……という別な魅力もある。ただ、いかんせん人が多いんですね。コロナ禍の今はどんな感じになっているのでしょう? 「ステイホーム」を続けると息苦しくなってくるだろうし、公園へ行っても人が大勢歩いている。大都市に逃げ場はありませんね。
5月に入り、えりも、富良野、室蘭の3箇所を歩きました。それぞれ2時間ずつの取材でしたが、すれ違ったのは3箇所合計でわずか2組。6人か7人だったと思います。休日、北海道民はどのように過ごしているのだろう? きっとそれぞれ、お気に入りの場所で過ごしているのだと思います。「密」を避けようと思えば、いくらでも避けられる。この点、北海道は今の日本の中でもっとも恵まれた環境にあると言ってよいのではないかと思います。それでも、札幌を中心にコロナ感染者が急増しているのが気がかりですが……。
かつては「ある」ことに価値を感じていたのですが、2010年代あたりから「ありすぎる」ことに疑問を感じるようになって、ここ数年は「余計なものがない」ことに価値を感じるようになってきた。これは僕の感覚なので、みんながそうなのかはわかりません。断捨離に熱心な人は「ない」ことの価値をよく知っているのでしょう。僕はそれとは真逆の生活が長かったため、「ない」と不安になるという気持ちがまだ強く残っています。その結果、さほど必要のないものまで手に入れようとする。
本当に必要なものは必要なのですが、さほど必要がないと思うものはないほうがいい。そんな考え方に至るには、あと数年かかるような気がします。その点、帯広というのはちょうどよい規模の都市と言えるかもしれません。必要なものは一通り揃っていて、足りないものはない。車で郊外へ行けば自然を体感できる。文化的な施設がもっとほしいという声もありますが、そこまで望むのはちょっと贅沢かもしれません。理想を言えば、日常空間の中にもう少しアート作品が豊富にあるといいですね。もっとも、春の草花をよく観察すると、十分すぎるほど芸術、文化を感じ取ることができる。昨日は360度「アート作品」に囲まれた場所を歩いていました。
人工物がなければ、自然が「ある」ということになります。「余計なものがない」状態を求めるということは、自然を求めていると言い換えて差し支えないでしょう。人が望むのは「何もない」ではない。何かを求めていることは間違いない。ただ、それが何かわからないため、モノで心の隙間を埋めようとする傾向が現れる。僕の場合、その典型的なパターンで半世紀近くを過ごしてきました。
スロウの編集理念「足元の豊かさに光を当てながら、わくわく北海道をつくります」の意味がようやくわかってきたところ。スロウが100号目を迎える頃には、ちゃんとわかるような自分になっているのかもしれません。
