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偶然経営仮説34 写真と偶然

偶然経営仮説34 写真と偶然

おはようございます。
 午前10時、定例ミーティング。午後は意外にもヘヴィな作業が待ち受けていた。10年くらい前のスロウの一部を掘り起こす仕事(ちょっと抽象的な書き方になりました)。時間がかかる上、目を酷使することとなった。その一方、当時のN氏の記事を読むと、止まらなくなった。奥が深い。6時頃作業を終える。6時半、帯広ロータリークラブ次年度クラブ協議会。ZOOM開催。7時半頃終了。

頻繁に起こる偶然に気づく

昨日の早朝は、スキャニング作業をしていました。28年前の写真。この頃は6×6の二眼レフで撮ることが多かった。銀塩写真。それもバライタの印画紙で適切にプリントされたもの。個展の候補作。ドライマウントはされていない。したがって、展示作ではありません。ところが、20数年ぶりに見て驚いたのです。実に素晴らしい(自画自賛モード)。
 28年前の僕は、これらの作品のよさに半分は気づいていたはず。プリントしたという時点で、写真の持つ意味をある程度は理解していた。だが、もう半分はよくわからぬまま忘れられ、その後、四半世紀眠りにつくこととなったのです。
 写真ばかりではないと思いますが、そういう作品、そういう仕事って、案外多いのかもしれません。ずいぶん年月が経ってから、改めてその意味や価値に気づく。10年前のスロウにしても、発行当時とは少し違った観点からN氏の記事を読んでいました。実はこんなに深かったのだ……。不思議な感動を僕は味わっていました。
 スロウのバックナンバーについては、すでに品切れになったものが多く、僕の手元にもありません。どうしてもほしい号については、ネットで古本を探して購入。定価より若干高い金額で買うことができました。過去のスロウの中には「お宝」(?)のような記事が埋もれています。もう10年くらい経つと、今のスロウからもお宝が発見されるようになるのかな? そう期待したいものです。
 自分たちの過去の仕事の中には、「偶然が起こるのを待っている」ものが数多く秘められています。歴史は繰り返す。単純に同じことを繰り返すわけではなく、スパイラルアップしていくもの。10年前のスロウの価値に気づいたということは、そこに今日的な課題があると考えるべきでしょう。また、28年前の自分の作品に驚きを覚えたということにも、何らかの意味があるに違いありません。
 偶然というものは極めて頻繁に起こっているものです。ところが、ほとんどの場合、その偶然に気がつかない。常に呼吸をしているのに「呼吸している」と気づいていないのと一緒。自分は今、息を吸っている、吐いている。そう意識したとき、呼吸の意味を理解したことになるんですね(ちょっと変な例えかな?)。
 偶然を偶然と認識したとき、偶然の意味を理解し、その価値に驚いたり、感動したりするわけです。僕は、「当時の自分はこんなものの見方をしていたのだ」とビックリしました。他人にはどうでもよい視点かもしれないのですが、僕は椅子から転げるくらい驚愕したのです。それも、目の前で起こっている偶然と10数メートル、数10メートル先で起こっている偶然が一枚の写真の中に写り込んでいる。そんな写真がいくつもありました。よく二眼レフでこんな写真が撮れたものだ……。
 今、自分にそのような力はあるのだろうか? 偶然をたぐり寄せる力。というよりも、頻繁に起こる偶然にちゃんと気づく力というべきでしょうか。
 偶然はカメラを持っていないときにも、当然起こっています。我が社の中でも毎日起こっている。気づいて、意味を理解し、その価値を適切に生かすことができれば、仕事の仕方や生み出される成果は違ったものとなるはず。ものを見る目が重要。そのことを28年前の自分から学ぶ必要がありそうです。
※28年前の写真は「一から始める自費出版」の中で順次公開していきます。

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