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第12回 散らかし能力、または片付け能力の欠如

第12回 散らかし能力、または片付け能力の欠如

皆さん、おはようございます。
 ゴールデンウィーク、いかがお過ごしでしょうか。僕はというと、たまりにたまった仕事を片付けようと思いながらも、昨日は部屋の片付けに半日以上専念しました。M氏の全面的協力と監督の下、大量の資料を分別。迷ったら捨てる。この方針により、おびただしい量の紙ゴミが出ました。ついでに仮眠用のソファーベッドも部屋から放出。今では縄跳びができるくらいの空間が出現。引っ越して以来、もっともクリーンな状態となっています。頭の中も空っぽ……といってよいくらいです。

やはりクリーンなほうがいい

我が社の社員であればほぼみんな知っている事実ですが、僕には片付け能力がない。逆に言えば散らかし能力が高い。散らかし能力と忘却力は僕の2大才能といってよいかもしれません。だが、この2つの能力が僕の人生に役立っているといえるかどうかは微妙。忘却力は確かに役立つ場面が多いものの、散らかし能力のほうは何に役立っているのか、僕にはわかりません。
 僕は子供の頃から一貫して片付けるという活動を苦手としてきました。通常は親から厳しくしつけられて身につける能力でしょう。おそらく僕の場合は、しつけで何とかなるというレベルではなかったのだと思います。このため、片付けとか引っ越し作業ともなると、始める前から頭痛や筋肉痛に襲われる。過去、僕と同じタイプの人がひとりだけ我が社にいました。ひとりだけでよかった……。
 散らかし能力は、通常の社会人にはたぶん必要ないと思われます。しかし、通常ではない異質な社会人だったなら? そう仮定してみると、少しだけおもしろいかもしれません。
 僕がフォトグラファーであることと何らかの関係があるのではないだろうか? といっても、世のフォトグラファーが散らかし能力を持っているというわけではありません。どちらかというと、片付け能力の高い人が多いと思います。
 ただ、僕の場合「写真とは、混沌とした現実の中から秩序を見いだすもの」と定義づけしているのです。このため、自分のまわりが自然に混沌とした状態になってしまうのかもしれません。机の上も書棚も引き出しも床の上も混沌としている。ただ、ある法則に従うと、そこに秩序のようなものがあり、それなりに使いやすい書斎になっている。
 それでも、部屋はきれいなほうがいいですね。今朝このブログを書きながら、クリーンであることの素晴らしさを実感しているところです。混沌を知れば、クリーンのよさをかみしめることができる。貧困を知れば、お金のありがたみを知るというのと、ちょっと似ているような気がします。

どの程度信憑性があるのかわかりませんが、自分の部屋の状態は自分の頭の中を表していると言われます。その説に当てはめると、僕の頭の中はぐしゃぐしゃということになってしまいますね。僕としては、ぐしゃぐしゃというよりも、愚者&愚者かな? 浄土真宗の教えには「愚者になりて往生す」というのがあります。愚者であることの自覚が大切なのでしょう。
 ちなみに、僕の部屋ばかりではなく、取材時に僕のとるノートもずいぶん混沌としています。スカスカなのに混沌としている。意味不明なものとなりやすい。原稿を書くことができるのはICレコーダーのおかげ。
 しかし、ノートが無意味というわけではありません。ともかく意味不明に思えてもノートに記入し、取材後にICレコーダーの音声を聞く。そして、スカスカのノートの空白部分に別な色のペンで重要な事柄を記入していく。そうすると、不思議なことに混沌の中から秩序のようなものが見えてくるのです。僕はあるとき、この方法に気づき、7、8年前から2色のペンで書かれたノートを参考に記事を書くようになりました。
 写真制作(フィルム時代)のプロセスにちょっと似ていますね。撮影した時点では写っているのかどうかわからない。フィルム現像しても写真の良し悪しはわからない。引伸し機にネガをセットし、印画紙に露光し、現像液に浸してからようやく写真になる。何段階かのプロセスを経て全貌が見えるわけです。

話が逸れてしまいました。
 このような書き方をすると、僕が散らかし能力を肯定的に捉えているように思われるかもしれません。しかし、本当は僕も片付け能力をちゃんと身につけたいと思い続けています。50年くらい前からずっと。
 片付け技術を身につけようと、最初に始めたのはスクラップ帳。これは小学生か中学生の頃だったと思いますが、あっという間に挫折しました。次の片付け技術はずっと後の話。当時流行になったと記憶している「山根式袋ファイル」。1985年頃のこと。これは散らかし能力の高い僕でも、すんなり導入することができました。30年以上たった今でも僕はこの方法を活用しています。社内でも「山根式」とは知らずに袋ファイルシステムを使っている人がいると思います。
 パソコンを使用するようになってからは、デジタルデータの整理整頓が大きな問題として浮上してきました。1990年代まではFD(フロッピーディスク)かMO(光磁気ディスク)で保存。大変な分量になり、必要なときに見つからない……という事態がやってくることに。その後、DVDに記録するようになりましたが、あまり使い勝手がよいとはいえない。2000年代後半からは複数台のHDに保存し、今に至っています。
 ただ、HDの整理法がまだ確立していないという悩みがあります。みんなどうしているのだろう? とりあえず、ファイル名を検索できるようなものにしているため、今のところ行方不明になることはほとんどない。
 今は非常に複雑な時代です。部屋の中、頭の中、HDまたはクラウドの中。少なくとも3種類の片付け能力を持っていなければ仕事に支障をきたすことになります。
 昨日気づいたのは、僕に一番欠けているのは「捨てる」「手放す」という能力でした。これからはどんどん捨てることを心がけます。

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