
おはようございます。
休日。昼食は2日連続で冷やし担々麺を作る。味を少し変えてみた。午後、幕別町のMakurs Showcaseへ。「スロウなお買い物展」で買い物をする。その後、ホームセンターとスーパーで買い物をしてから帰宅。夜、スキャニング作業。さらに部屋がスッキリした。
歴史の空白を埋める自費出版
学校では日本史や世界史をはじめ、さまざまな歴史を学びます。社会人になっても、多くの人は何らかの形で歴史を学び続けます。子供の頃よりも、歴史への関心が深まっているのではないかと思います。なぜ、世の中はこのようになっているのか? 自分が所属している業界はそもそもどこから始まっているのか? 歴史を知ることで全体像を把握することができるようになり、どうあるべきか、自分は何をすべきかが明らかになってくるというものです。
ところが、ここでひとつの壁(あるいは謎)に突き当たることになるでしょう。学校で学ぶような日本史や世界史については、調べようと思えばいくらでも資料が見つかるもの。ネットで検索するだけでも、相当詳しいことがわかるはずです。
しかし、自分の住んでいる町の歴史はどうでしょう? 郷土史(市史、町史、村史)は図書館で見つけられると思いますが、本の種類としては限られたものになるはずです(町の規模にもよりますが)。さらに、自分の住む地区、母校、会社……と範囲を狭めていくと、さらに書物はわずかなものとなっていきます。学校の場合は周年記念誌を発行することが多いため、本や資料は比較的豊富に残っていると思います。一方、民間企業の場合は、社史や記念誌をつくる会社とそうでない会社とがあります。
創業から30年くらいまでの会社であれば、創業者や創業当時の関係者が健在で、直接当時の話を聞くことのできる可能性が高い。けれども、歴史が古くなればなるほど、創業当時の謎は深まっていくものです。
何を隠そう、我が社は実はこのパターンなんですね。僕の人生において最大の失策と言えるかもしれません。創業者から創業当時のことを詳しく聞くことを怠ってしまいました。このため、わずかに残る文献から当時のことを想像するより他ないのです。
ある意味、貴重な教訓でもあります。自分の手で記録しなければ、数10年のうちに事実関係すらわからなくなる。今を生きている人は、次の世代の人たちのために、何らかの形で「今」を記録しなければならない。失敗から学んで、僕はそう強く思うようになりました。
日本史や世界史に出てくるような人物や出来事であれば、放っておいてもマスメディアが記録に残すことになります。一方、自分の身の回りで起こっていることや、自分・自社の歴史については、自分で記録しておかなければ時間の経過とともに闇に葬られてしまうことになります。会社の場合、自分の代まではよくても、次世代の人たちが大いに困ることとなるでしょう。
自費出版の意義のひとつは、こうした歴史の空白を大勢の人の手によって埋めていくというところにあるのではないでしょうか。歴史の空白を埋めていく活動は、もちろん出版だけではありません。データベースを作成していくことも大切ですし、写真、動画、音声で残そうとする人も多いでしょう。
30年、50年、100年後を想像してみてください。将来、どのような記録メディアが主流となるのか、僕には皆目見当がつきません。けれども、紙媒体は今のところもっとも確かな記録保存方法ではないかと思います。そして、きちんと製本されている書物は、もっとも扱いやすい記録メディアと言えるのです。自費出版が盛んになることで、自分の住む町、勤める会社、所属するコミュニティの歴史が継承され、地域文化がより豊かなものとなっていくに違いありません。