高原淳写真的業務日誌 > 門外漢の原稿作成技法 > 門外漢の原稿作成技法第45回 苦手意識の意味

門外漢の原稿作成技法第45回 苦手意識の意味

門外漢の原稿作成技法第45回 苦手意識の意味

おはようございます。
 朝、ブログを書く。毎日当たり前に行っていることなので通常記録することはない。昨日はブログを通じて新刊予定の原稿を書き終えた日。少しだけ特別な感じがする。午前から昼にかけて社内報の原稿を書く。書きたいことは山ほどあるが、スピードは上がらない。短いほうは1時間あまりで完成。長いほうは全体の1/4といったところ。夕方からは休日として過ごす。

気づくと35年

10年くらい前から、写真を撮る時間よりも原稿を書いている時間のほうが圧倒的に長くなってしまいました。書き手としてはいつも「門外漢」という感覚なのですが、もしかすると原稿執筆が本業となりつつある。これは僕にとって不安なこと。なぜなら、僕は今でも書くことに苦手意識を持っているからなのです。
 書くことに何の抵抗もない、何の不安もないというプロの書き手もいます。社内に何人いるかはわかりませんが、そうした人からすると「文章の苦手な人の気持ちがわからない」に違いありません。書ける人は滅多なことでは本音を漏らすことはない。けれども、書けない人に対して「なぜ書けないの?」という気持ちがどこかにあるはず。
 僕は両者の気持ちがおおよそわかる立場。今でも心理的ポジションは「書けない」というゾーンに留まっています。書けないけれども、「書かねば」「書きたい」という気持ちで書き続け、仕事としては35年経過しました。この大いなる苦手意識こそ、門外漢である証と僕は考えてきました。
 しかし、実際のところはどうなのでしょう? 苦手意識があるから門外漢というわけではない。そんなふうにも考えられます。
 人生に置き換えて考えると、生きていくのは容易なことではなく、前向き、建設的、積極的に生きることにある種の苦手意識を持っている人もいることでしょう。僕もときどき後ろ向きな気持ちになることがある。人生に苦手意識を持っているからといって、その人が人間として門外漢であるというわけではない。人間以外の何物でもないわけです。
 苦手なものを自分の職業とし、苦手意識を持ちながら知識、技術、経験を深めていく。それもまたひとつの道であるような気がします。苦手意識を持っているがゆえ、「これでよいのだろうか?」と振り返りながら書き進めることができる。苦手であることのメリットはこのあたりにあるのではないかと思います。
 いつも「自分の文章は下手だなぁ」と思いながら書いています。一番下手さを感じるのは、文章表現力の乏しさ。次に語尾が単調であること。したがって、文章を読み返すと流れが悪い。引っかかるものを感じながら読むことになる。推敲の段階である程度修正するようにしていますが、卓越した書き手の場合は、このような修正はほとんどないに違いありません。
 ただ、苦労しながらも一応「伝えたいことを伝える」という使命を果たしてきました。僕の文章作成技法は「伝えたいことが伝えられるかどうか」がすべて。技術的に未熟であっても、伝えたいことの中身がしっかり書かれていればよい、と考えています。
 毎日のブログは平均1500字ほど。1日最低でも1500字。原稿執筆日に書く文字数は1万字を超えることもあります。社内の平均的な編集者よりも、よほど文章を書いています。社内一かもしれません。なのに、根強く残る文章に対する苦手意識。これは一生治りそうもありません。だからこそ、「写真家的文章作成技法」とか「激訳・自分史作成講座」といった本を著したのでしょう。
 僕と同じようなタイプの人が世の中には少なからずいるはず。書くべきことを形にする一歩手前の状態で足踏みしているような人。そうした人に向けてちょっとしたコツと技術を伝えるのが僕の使命であると感じています。
 ひとつおもしろいと思うのは、35年間もずっと苦手意識を持ち続けているというのに、書くことが嫌いだと思ったことが一度もないこと。ここにも何か意味があるような気がします。

〒080-0046 北海道帯広市西16条北1丁目25
TEL.0155-34-1281 FAX.0155-34-1287

高原淳写真的業務日誌