おはようございます。
午前8時半朝礼。先週に続き、新入社員を紹介する。実に16年ぶりに我が社にカムバックしたHさん。大変うれしいこと。朝礼終了後、あるシステムの説明会が行われた。説明するのは新卒新入社員A氏。めずらしい光景である。まだ入社4ヵ月目というのに。9時半、新商品開発ミーティング。僕は冒頭の数分間参加しただけ。会議中、書斎で原稿を書く。午後1時半、スロウ編集会議。次号の特集テーマについて。おもしろい取材となりそうだ。4時、同友会事務所。北海道中小企業家同友会理事会。6時、とかち支部四役会。6時半、幹事会。8時45分、情報交換会。9時半終了。9時50分帰宅。夕食抜きで眠る。
想像力が発揮されるかどうか
スロウ次号のテーマ。公表しても構わないような気がしますが、一応ここでは伏せておきます。僕個人としては大変盛り上がるものを感じています。僕のほかにも、若干名盛り上がっている人がいます。取材が進むと、さらに盛り上がる人が出てくるに違いありません。
僕のアイデンティティはやはりフォトグラファーなのだ。そう思わずにはおられません。撮る前から映像が浮かんでくる。実に北海道らしい被写体であり、質感、存在感、風景の中での位置づけ……、あらゆる点から見ても撮りたくなる。そんな被写体。
編集会議では「どこに魅力を感じるのか?」という質問がありましたが、どこかと問われると明確には答えられません。好きとか嫌いといったレベルとは異なる。もし、北海道からこの被写体が失われたならば、心にぽっかり穴が空いてしまうに違いありません。
強いて言えば、「時間」を感じさせるところでしょうか。これは先週土曜日に行われた幕別のまち歩きツアーで撮影した、ニッタクスの工場と同じ種類のもの。時間は10年でも、50年でも、100年でもよいと思っています。短くても長くても、しっかり時を刻んでいることを感じさせる被写体に僕は惹かれます。
雑誌スロウにしても、新しい号が出たならば、それは「できたて」に違いありません。けれども、そこには17年間、68号分の蓄積があるわけです。編集者は入れ替わっても、ビジョンに向かって積み重ねてきた歴史がある。昔のままの編集部ではありませんが、創刊時の痕跡は今も残っている。そこに創刊したての雑誌とは異なる魅力や存在感があるわけです。
ニッタクスにしろ、次号特集テーマの被写体にしろ、時間の積み重ねがフォトグラファーとしての僕を盛り上がらせる最大要因となっています。この建物が建ったばかりの頃はどのような風景だったのだろう? そんなことを想像しますし、ここで100年前の人たちはどのように働いていたのだろうか、といったことを考えます。ニッタクスの場合は、いくら撮っても撮り飽きることがありません。歴史の痕跡が至るところに残っています。
時間を積み重ねた建造物には、昔も今も盛り上がるものを感じます。スロウで道内各所を取材をするようになってからは、建造物以外でも時間を感じるようになりました。もはや廃屋すらない空き地。鴻之舞や十勝三股など、道内各所にそのような場所があります。人工物が何もないがゆえに、想像力が発揮される。直接目撃したものではなくても、自分の人生の中にある古い記憶と照合させながら、イメージすることができる。そこが人間のユニークなところであり、写真を撮るという活動の意味なのではないかと思っています。
一本の木にもひとりの人物にも、時間の積み重ねがあり、それらの歴史をイメージすることで、目に見えない何かが写真に写り込んでくるのではなかろうか。学生の頃までの僕は、写真は自己表現手段であると考えていました。今はちょっと違うような気がしています。フォトグラファーは認識する人。もっと適切な言葉が出てくればよいのですが、認識、解釈、目撃、追体験といったような言葉が浮かんできます。スロウ次号の撮影を通じて、もっと深く考えてみようと思います。