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写真論13 編集者とフォトグラファー

写真論13 編集者とフォトグラファー

おはようございます。
 朝6時半、Y氏とともに美唄へ。9時40分到着。札幌在住のスロウ編集長K氏と合流。ZOOM以外でK氏と会うのは、たぶん1年半ぶり。Y氏は初対面だ。取材は10時から。料理と人物撮影。取材はY氏。1時間半ほどで取材終了。この日の本取材は1本のみ。美唄で2ヵ所プレ取材。K氏と別れ、プレ取材3件目は長沼。収穫の多いプレ取材となった。5時55分帰宅。

自己完結型が増えるのか?

社内で少し不思議な現象が起こっているような気がします。編集者と一緒に取材へ行くと、必ずといってよいほどカメラの話が出てくる。僕から話を切り出しているのだろうか? それもあるかもしれませんが、明らかにそうではないケースもある。「カメラは何がいい?」といった話になることが多いのです。
 僕と同じ路線を目指す人が増えていくのでしょうか? ひとりで取材・撮影の両方をこなす編集者。やや難度は高いけれども、不可能ではありません。そして、そのほうが思い通りの記事をつくることができる。札幌でテレワーク中のK氏には、「必要に迫られて」という側面もあるようです。コロナ禍により、おいそれと札幌へフォトグラファーを派遣できない状況が続きました。やればできるし、やってみると思った以上にうまくいくに違いありません。
 自分で撮影すると「フォトグラファーに指示・説明しなくて済む」というメリットがあります。イメージを共有することにエネルギーを注がなくてもよい。これにはメリットとデメリットの両面がありますね。
 フォトグラファーは写真のプロですから、編集者とは別な視点から被写体を見ています。編集者は「思い通りの写真」を撮ることができますが、フォトグラファーは「編集者が思ってもみなかった写真」を撮ることがある。この違いは小さくはない。このあたり、プロの編集者は当然心得ていて、今後はちょうどよいバランスで使い分けていくことになりそうです。
 編集者の視点とフォトグラファーの視点。どのように異なるのでしょうか? 個人差があるため断定はできません。しかし、編集者の多くは取材前におおよそのページ構成をイメージしているはずです。イメージ写真と説明的な写真。最低限必要な写真は何なのか洗い出し、撮り忘れのないようチェックする。これは毎回の取材で行われていること。
 一方、フォトグラファーの場合は、どのような形で写真が使われるのか、説明されることもあれば、説明されないこともあります。あまりにも説明がなさ過ぎの場合は、説明を求めます。しかし、スロウの取材では自由に撮影できるほうがありがたい。あくまでも写真のクオリティが優先事項となりますから、編集者の撮り方とは少し違ったものとなる。ここがおもしろいところ。
 編集者は文章とセットで必要な写真を撮る。さらに言えば、デザインされてページが整った状態をイメージしながら、どんな写真が必要かを考える。一方、フォトグラファーはどうか。編集者同様、ページをイメージして撮ることもありますが、それだけではありません。写真至上主義的な気持ちで撮ることがあります。このときは、「取材としての撮影」ではなく、「撮影者と被写体」だけの関係になる。いい写真が誕生するのはそんなとき。しかし、写真としてはよいが使えない写真になることもあります。撮影者が自分の世界に浸りきってしまうと、使えない写真がやたら増える。僕には少しその傾向があるようです。
 編集者が写真を撮るメリットは、「思い通りの写真が得られる」こと以外にもありそうです。いい写真とは何なのか、必然的に考えるようになることです。答えの出ないこのテーマについて、フォトグラファーと語り合えるようになる。昨日はカメラの話で終わりましたが、たまに「写真とは何か」が話題に上ることもあります。それは編集理念を共有する上で必要な話題のひとつでしょう。

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