おはようございます。
昨日は完全休日。というよりも、眠気に支配された一日だった。知的活動はほとんど行っていない。少しだけでも前に進めようと思ったら、思いの外時間が経過してしまった。夜、僕にしてはめずらしく、テレビで映画を観る。
IQは愛嬌、EQはいい食いっぷり?
連日怪しげな迷言を書き連ねて、少しだけ恐縮している自分がいる。
今日の迷言は「IQは愛嬌、EQはいい食いっぷり?」である。あまりにも独断と偏見。僕の迷言の中でも、怪しさといい加減さでは最上位にランクされるに違いない。しかし、どういうわけか、書かずにはおられない。自分でも怪しいと思っているのに、心の一部では妙に納得している。疑念と確信が共存している。このため「?」をつけることにした。
まず、IQとEQの定義を明確にしておこう。
IQ(Intelligence Quotient)は「知能の程度を示す指数。精神年齢を暦年齢で割り、それに100を掛けたもの」。EQ(Emotional Quotient)は「情動指数。感情指数。自分の感情を認識し、自制する能力。他者を共感的に理解する能力」。
子供の頃、知能検査を受けた記憶がある。結果は知らされていない。僕の記憶違いかな? 知能検査には厳しい批判があるようだ。今はネットで測定可能だが、信憑性はわからない。EQもネットで簡易診断できる。実際に試してみるとおもしろい。ネットのIQテストはずいぶん頭を使う。EQのほうは心理テストに近い。どちらも数字で結果が出る。僕の診断結果は……もちろん秘密だ。
ここからは僕の独断と偏見だが、愛嬌のある人はIQが高そうな気がする。というか、単純に機転が利く。ビジネスはたいていの場合チームで行われる。自分個人の能力も重要だが、それ以上にチーム全体のパフォーマンスが求められる。行き詰まったときには、その人ならではの愛嬌によって、雰囲気を変えたり、異なる視点を提示する必要がある。それには知的能力が欠かせない。おそらく、本当の意味での知的能力は数値で表すことはできないに違いない。
IQとEQは別々な能力ではないような気がしている。一般的な解釈では愛嬌はEQの一部と思われるだろう。だが、ビジネスの現場では理性でコントロールしながら、他者の共感や理解を引き出そうとする。その一つが愛嬌というわけだ。
僕の勝手すぎる解釈ではあるが、EQはもっと得体の知れない能力ではないかと考えている。
もう40年くらい前の話、僕はなかなかの大食漢だった。当時の学生はみんなそんな感じ。友人宅で食事をごちそうになると「気持ちいいくらい、よく食べるね」と親御さんから言われることがあった。食欲を満たしたい人と誰かにごちそうしたい人。当時は、需要と供給がマッチしていた。今の時代は20代でも少食な人が多い。丼でご飯をおかわりする人は滅多に見ない。ごちそうしたい人にとっては冬の時代。たくさん食べることでごちそうした人を喜ばせることができる。僕のイメージするEQとはそんな他愛のないものだ。
だが、今日でもEQの高い人は少なからずいる。たとえ炭水化物を制限していても、実においしそうに食べてみせる。実際に「おいしい」という言葉を発する。おいしい表情+言葉。それによって、周囲の人(特にごちそうした人)のみならず、自分自身の気持ちをも前向きに変えることができる。他者の共感が自然に引き出される。
料理が実際においしいかどうかは、さほど問題ではない。おいしく食べ、おいしいとアピールすることで、周囲に好ましい変化をもたらす。誰にでも簡単にでき、効果的な手法。だが、心からおいしいと思うことが前提であるため、味覚リフレーミング力が必要かもしれない。
コロナ禍によりEQを発揮するシーンが激減してしまっている。食事会の大切さを改めて痛感する今日この頃である。