おはようございます。
連休後半、いかがお過ごしでしょうか。
昨日は再び所沢の自宅を片づけていました。もう出ないだろうと思っていたら、まだあった。ずっと見つからなかった大昔のネガ。なんと学生時代のもの。35年くらい前。暗室作業の記録もありました。ノートのほうはほんの一部だけ持ち帰ることにしよう。
ネガもポジもほぼ無傷でした。が、カラープリントのほうはさすがに退色が進んでいます。自分でプリントした写真はもちろん大丈夫。いい加減に処理したと思われるベタ焼きの一部にだけ退色あり。やはり、銀塩写真において定着・水洗作業は重要なプロセスですね。
驚いたのは、過去に行った個展用作品の予備プリントが出てきたこと。予備といっても、ほぼ完璧な仕上がり。これは僕にとってはお宝です。
年を重ねて増す魅力
今回の所沢滞在の目的はほぼ果たすことができました。あとは車に積み込むだけ。
そうだ、お宝といえばもうひとつありました。JBLのスピーカーが出てきたのです。まさか、こんなところに仕舞われていたとは。僕の忘却力は並ではない。自宅にスピーカーがあったことすら忘れていました。プレーヤーやアンプは帯広へ運んだのに、スピーカーだけ頭から抜け落ちていました。JBLを見つけて、すべて思い出しました。ジャズを思い切り聴こう。25年前、そう思って、プレーヤーにはちょっと奮発したのでした。
M氏にも気合いを入れて揃えたアイテムがありました。それは車には入らない大物。別途送る手配をするようです。「ベセラー(引き伸ばし機)の3倍くらいの値段」と言っていました。知らなかった……。昨日初めて明らかになった事実です。
新発見と再発見がいくつもあった今回の旅ですが、もっとも感慨深かったのは「経年劣化」ですね。20年間放置してきたという理由もありますが、ずいぶん傷んでいる。ベセラー45MXTにもラッキー90MDにも錆が見られる。一部の写真は退色し、高価な写真集にもシミが目立ちます。
写真集はもっと早い段階で帯広へ持ち帰るべきでした。湿度の低い帯広であれば、買ったときのコンディションのまま保存できたに違いない。失敗でした。どうしても手放すことのできない写真集数点だけ持ち帰り、残りはすべて処分するになります。
経年劣化によって残念な結果になることも多いわけですが、経年劣化そのものは避けられません。人も、物も、建物も、街も、時間とともに劣化したり、変化していくもの。劣化を多少遅らせることは可能であっても、時間を止めてしまうことはできません。劣化または変化していくさまを、ある種の感慨とともに味わうことが大切でしょう。
僕は50代になってからようやく、劣化のよさが少しわかるようになってきました。けれども、今の20代、30代の人たちの一部(もしかすると多数?)は、ほとんど最初からよさに気づいているのかもしれません。劣化することのないデジタルデータに囲まれて育ってきたからだと僕は推察しています。
スロウの取材をするようになって最初に驚いたのは、廃屋をリノベーションしてカフェにしたり、自宅として住んだりしている人たちでした。ひとりやふたりではない。そうした人が大勢いて、僕の印象では30代が中心。確かに使い込まれたよさというものは理解できますが、不便だろうなと思ってしまいます。しかし、年月を重ねた風合いには不便さを超える価値があるのでしょう。写真を撮っていても、新しい建物にはない趣がありますし、オーナーの深い愛着を感じます。
新しいものが好きな僕とは対極にある価値観。ですが、考えてみると、僕も実は古いもの、使い込まれたものが好きなのです。自分で所有したいとは思わないけれども、そうしたものを被写体として扱っています。好きだけれども、自分で所有すると手に負えないということがわかっているのでしょう。
街の魅力も、ちょっと劣化しているところにあるのではないかと思っています。西荻窪の南口とか吉祥寺のハーモニカ横丁など、実にいい感じで劣化していますね。初めて訪れた32年前からすでに十分劣化していました。ここまでくると劣化というべきではなく、長期熟成と表現すべきなのでしょうか。この先、50年、100年と今の姿を保ち続けてほしいと思います。
その一方、西荻窪も吉祥寺も駅の姿はガラリと変わってしまいました。僕の住んでいた18年前と比べての話。実際に住んでいる人からすると、「ガラリ」ではなく「徐々に」なのでしょう。けれども、10年に一度くらいの間隔で訪ねる人にとってはガラリに違いない。
僕も10年ぶり、20年ぶりに会う人にビックリされることがあります。まあ、人間も経年劣化していくものです。僕のほうもビックリするわけですが、ビックリを表情や言葉で表現することはありません。10年間、20年間の時間の積み重ねをイメージすれば当然そうなる。もし、変わっていない人がいたとしたら、そのほうがビックリ度が高い。
人も、物も、建物も、街も、経年劣化することで「魅力を増す」こともあれば「魅力を失う」こともあります。この差は何なのだろう? いつもそう考えてしまいます。
ひとつには「本物かどうか」ということでしょうか。そして、もうひとつは「本物であり続けるために成長しつづけているかどうか」。物や建物の場合は「手入れしているかどうか」でしょう。人は年をとることで劣化するのではなく、成長が止まることによって劣化するのではないかと思います。
何となく、サミュエル・ウルマンの詩「青春」のような結論になりました。
体が劣化してもなお、新しいものを生み出そうとする。経年劣化を経験している人こそ、経年劣化することで魅力が高まるような作品、商品をつくることができるのではなかろうか? 古酒のような味わいを持った写真を制作してみたくなりました。