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門外漢の原稿作成技法第46回 ます・です調?

門外漢の原稿作成技法第46回 ます・です調?

おはようございます。
 午前9時出社。来客。10時半、ミーティング。午後1時から1時間、企画について考える。2時過ぎ、同友会事務所、2時20分、とかち地域政策懇談会。3時15分帰宅。そこから1時間15分でパワーポイントの資料を作成する。過去最速。24ページ。プリントアウトし、再び同友会事務所へ。オンラインビジネス研究会のミーティング。6時50分帰宅。

「偉そうな自分」も必要

12日連続、「使える!ビジネス迷言」というテーマでブログを書いてきました。ここで小休止。ネタはまだまだあります。明日から再開することになるでしょう。
 僕はこれまで、スロウの記事は「だ・である調」、クナウこぞう文庫では「です・ます調」で書いてきました。「使える!ビジネス迷言」はたぶん電子書籍として発行されることになるでしょう。クナウこぞう文庫に準じて「です・ます調」にしてもよいのですが、「です・ます」って、書いていてまどろっこしく感じられることがあるんですね。毎日が「です・ます」だと飽きてくる。そんな理由から「だ・である調」で書いてみました。
 ちょっと油断すると「です・ます」が混じってしまうのですが、「だ・である」のほうが書きやすい。歯切れのよさがいい。ただ、書き方を間違えると偉そうになってしまうので要注意です。偉そうにせず、ほどよいテンポで歯切れのよい文章を書く。このあたりが「だ・である調」のポイントでしょうか。
 書いているうちに、自分の中に隠されていた「偉そうな自分」が表に出てきそうになる……。ここが案外おもしろいところ。いったん書いてみて、「偉そうな自分」を発見し、「何様のつもり?」と自分を叱責することがたまにあります。しかし、もしかすると「ちょっと偉そうな自分」を小出しにするほうがおもしろい文章になるのかもしれません。
 これはあらゆる文章に対して当てはまるのではないかと思っています。僕の考えでは、完璧な文章には魅力を感じない。人間的な癖があったり、ちょっとした論理の破綻があったり、稚拙さ、至らなさをわずかに感じられるような文章。このほうが読んでいておもしろい。書き手の心の動きが伝わってくるからです。だから、校正の際、自分の書いた文章にむやみに赤を入れられると、抵抗したい気持ちとなって、つい「イキ」と赤を入れ直してしまいます。
 それはともかく、数週間前、テレビを見ていてビックリすることがありました。
 文章に「です・ます調」はありますが、「です」と「ます」を同時に使うわけではありません(当然ですよね)。ところが、テレビに出ていた知識人と思われる人が、「ますです」を連発していたのです。よりていねいに話そうとして、勢いあまって「ますです」と言ってしまうことはあるかもしれません。僕も一度や二度は使っているような気がします。だが、数分の話の中で何度も「ますです」と言うことはない。ふだんから、当たり前のように「ますです」を使用している人がいる。驚きました。
 よく、二重敬語の例として「~いただけますでしょうか?」が挙げられます。誤りとは気づかずに使っている人も多いでしょう。よりていねいに話そうとすると、結果的に日本語として誤った用法となりやすい。
 やさしい性格の人とは限りませんが、やさしさやていねいさが過剰なまでに文章や話し言葉に表れてしまうことがあります。これもある意味「完璧な文章(話し言葉)」なんですね。「完璧に相手に受け入れてもらおう」という気持ちが二重敬語のような完璧な誤用につながる。ここから僕らは学ぶ必要がありそうです。
 完璧に近づけるのはよいが、完璧に書いたり、完璧に話そうとしてはいけない。同じように、完璧に相手に受け入れてもらおうと考えるのは誤りではないか。人間は完璧な存在ではない。矛盾、曖昧さ、勘違いをわずかに含んでる文章、話し言葉で自己表現する。そして、誤解を恐れず、ほんわずか「偉そうな自分」を表に出してみる。このさじ加減が重要なのかもしれません。

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